ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

おっぱいサミット2016

今日はこのブログに度々登場する風俗王(2、3回しか行ってないらしいが風俗童貞からすれば風俗王である)のK君とジャム(ギター練習)って来た。

 

しかし、ジャムとは名ばかりで

 

 

ほとんど世間話をしているだけである!

 

 

その世界で62億番目くらいに

どうでもいい話の一部を紹介しよう。

 

 

「 伊勢志摩サミット終わったねー」

「早かったねー」

という話題を早々に打ち切り

 

 

 

僕らは当然のようにおっぱいの話に移った。

 

 

 

K君はおっぱい大好きの

おっぱい星人

 

飲み会で

 

「いや~おっぱいってあんまりなんすよね~。脚とかお尻が好きなんですよ。」

 

とかいうおっぱいヘイトスピーチをする男に腹が立つらしい。

 

確かにそういう男はサブカルぶっている気もするし

母なる象徴のおっぱいが好きではないと言っているのは

「私はマザコンではなく、独り立ちしています」という

アピールも感じる。

 

 

 

男はおっぱいが好きだ。

おばあちゃんでも谷間が出ていれば見てしまう。

 

僕もおっぱいは好きだが

最近太ももも好きになったということをK君に言うと

おっぱいが先にあればその考えも認めるらしい。

 

 

K君はおっぱい原理主義だったのだ。

 

 

僕がブログに書いたバイト先の人とカラオケに行った時に

触ったおっぱいの話にも食いついていた。

バイト先の飲み会で触るおっぱいというのは

偶然のおっぱいである。

 

それは、

 

 

「繰り返される日常に舞い降りた天使」

 

であり

 

 

「暗闇の中で射す一筋の光」

 

だ。

 

 

「必然のおっぱいよりも、偶然のおっぱい

魯山人先生は仰った。

おっぱいは突然に」と小田和正は歌った。


K君はそれを「朝触れると思ってなかったおっぱいと表現した。

 

 

 

さすがに詩人である。

K君の好きなラルクの影響を感じる。

 

レディースタディーゴー!!

 

こうして僕らのおっぱいサミットは終わった。

 

 

いかんいかん!

おっぱいの話はもう終えて

そろそろ乳離れをしよう。

 

「おっぱい」の文字の大きさと色を変えるのはもうやめた。

 

 

おっぱいは大きさと色では計れないのだ。

 

 

 

 

 

しかし、男というものは馬鹿な生き物だ。

20代後半になっても

おっぱい一つ(おっぱいは二つだが)でこれだけ盛り上がれるのだ。

 

 

僕は男であることがたまに嫌になる。(別に女になりたいわけではない。踏んづけてやる!)

人を殺すのも、暴力振るうのも、性犯罪をするのも

大概が男だ。

この世界、男がいなければ幸せになるんじゃないか?

と思ったりする。

 

これを知り合いの女の人に話したら

「女もそんないいもんじゃない」と言われた。

確かに女は女で残酷な部分もあるが、暴力性や性的衝動が

男より圧倒的に少ないので憧れる部分がある。

 

どうでもいい話だが

中学生の時に女子二人が廊下を歩いていて

後ろから来た女子三人が「ごめーん」とか言って

道を開けさせるように仕向け、通り過ぎて行った後

女子二人の方が聞こえるか聞こえないかの声で

「死ね!」と言ったのを今でも鮮明に覚えている。

あれは怖かった。

 

 

あと男の話。

僕がホームレス中によくいた公園で

ランニングでハーフパンツで寝転がって

日焼けをしてたおじさんがいたんだけど

(っていうか公園にこういう日焼けおじさんよくいるよな、上半身裸で。焼くのが目的なのか何なんだろう)

子供が周りを走ったら「うるさいっ!」と言って、

自転車を公園の敷地に入れたことを係員の人に注意されたら

「ちゃんと書いとけよ!」と係員にしつこくブツクサ文句を言っていた。

 

いや別に女でそういう人もいるんだけどさ

なーんか男のプライドというか意固地な部分ってあるんだよ。

周りに馴染めないというか。

 

ウチの父方のじいさんも僕が小学生の時に家に友達を呼んで

騒いでいたら

 

 

「誰の家だと思ってんだ!!」

 

 

と言っていたのを覚えている。

是枝監督の「歩いても歩いても」でまんまそのセリフが出てきたのは笑った。

やっぱり男ってそういう生き物なんだな。

 

結局ウチのじいさんは

近所の人の家の草刈りかなんかして酒もらって飲んだら

その場で小便漏らして倒れて、そのまま15年くらい入院して死んだ。

僕が東京にいるときに。

 

脳溢血かなんかで、倒れた時から言葉も喋れなくなった。

入院中のじいさんに、かつての面影はなかった。

彼は10年以上もどういう気持ちで入院していて

死んでいったんだろうか

いまだに気になっている。

喋れなかったし、そもそも僕はあまり見舞いにもいかなかった。

 

その是枝監督の映画「海よりもまだ深く」でも「なんで男は今を楽しめないかねぇ」という

セリフが出てきた。

そう、男は「今」を楽しめない。

その理由が今日、なんとなくわかった気がする。

 

発表しよう!

 

 

女は一人の人に愛されればそれで幸せなのだ。

男はそうじゃない。

「モテたい」のだ!

沢山の人に必要とされたい。

 

 

いみじくも今日、風俗王K君も言っていたが

「10万くらいのギターを買おうと思ったが、その値段で最高の物を買わなければ嫌なのでなかなか手が出ない」と

 

これがヒントになったかは知らないが

僕は気づいた。

 

全国のガールに言っておく

男は基本的に彼女がいても

 

もっといい女がいるんじゃねーか?

 

と思っているのだ。

 

だから「今」を楽しめない

のではないだろうか。

 

 

え?

まさか女の人も

 

もっといい男がいるんじゃねーか?

 

と思ってるの?

ジュディ・オング的な

「好きな男の腕の中でも ちがう男の夢を見る」ってホントなの?

www.youtube.com

 

もしかして結局、男は女の手の平の上で踊っているだけなのか?

ハンドインダンサー?

なにそれ?

 

よくわからんが

 

偶然のおっぱいだと思っていたものは

必然のおっぱいだったのか?

 

 

「朝触れると思ってなかったおっぱい

用意されたおっぱいだったのかもしれない。