離れている時でも僕のこと忘れないでいてほしいよ。
向田邦子の「隣の女」という小説を読んでいる。
これもまた面白い。
僕はそんなに本とか小説とか読む方ではないが
学生の頃から爆笑問題のファンだったので
読書家の太田さんが勧めている本を
ちょくちょく読んだりしている。
そこで気付いたのだが
その太田さんのおススメ本の小説の中でも
僕がイイと思う本は
女性作家のものが多いのだ。
一方で音楽で熱心に追うのは男性のものが多い。
女性歌手の曲は物足りなさがあったりする。
マンガも男性作者のものが多いが
少年漫画と少女漫画という風に分かれているしな。
映画はそもそも女性監督が少ない。
その男女観は何故なのかと
また考えた。
女の人の小説はイメージでいうと
所々に花があり
それをイチイチ愛でていくというか
そういうところが好きだ。
男の小説は
自分の気持ちの「独白」とか
「結末」に向けて書く物語が多い。
「物語」で魅せようとする。
このブログで何度も書いているが
男は「今を楽しめない」というのを
そういう所でも感じる訳である。
イメージでいうと花を探しに
暗い暗い洞窟の奥まで行くのが男。
ただその花は世にも珍しい。
”はず”だという思い込み。
が男にはある。
小説というのは文字だけなので
そういう男性的な「独白」や「結末」の
物語を描かれると
僕は割と飽きてしまうのだ(笑)
こと小説に関して言うと
女性の細やかさというか、繊細さ憧れる面が多い。
男も繊細だがやはり質が違う。
逆に言うと僕は小説を読んでいる時は
少女になっているというか
乙女になっているというか
女の人の気持ちに寄っている。
「イヤ!男の人って不潔!」
「男子!!合唱コンの練習、真面目にして!」
「今日は自分へのご褒美にスイーツバイキング(^_-)-☆」
とかそんな僕の中の乙女成分が出てくる。
(そんな内容の本を読んでいるわけではない。イメージだ)
ダウンタウンの松ちゃんが
「男は精液が尿道を通る一瞬の為に生きている」
というようなことを書いていたのを
今も覚えている。
男はドラクエで
女はポケモンなのかもしれない。
ドラクエは魔王を倒すためにレベルを上げるのだ。
ポケモンも魔王はいるがどっちかというと
かわいいモンスターを集めて育てるのがメインだ。
だから女の子はポケモンが好きなのか!
と自分で出した例えに自分で納得するという
ウルトラCの離れ技だ。
その魔王を倒す為のモンスターについて「かわいい」という感覚が
男には無いとまでは言わないが
あるっちゃあるがバトルに勝つ為とかのが優先で
要は「効率」の方が優先する。
前に、5万借りている彼女と買い物に行ったときに
雑貨屋に”ふきん”があって「かわいい~」と言っていたのだが
女の人はそんなところにまで「かわいい」を求めているのかと
ビックリした。
”ふきん”だぞ!ふきん!テーブルを拭くだけの!
そんなものすぐ汚れるし100均でいいじゃねーか!と思うのだが
これが男の考えである。
僕ももっと女子力を高めたい。
女性歌手の歌は物足りないと書いたが
大貫妙子の「突然の贈りもの」は好きだ。
こういう健気な歌詞の女の人の歌が好きと言うと
女の人からは「女に対して夢見すぎ!」と言われるのが相場だが
じゃあ大貫さんが男の気持ちに寄せて書いたかと言われると
そういうタイプの作家でもないし
「大貫さん男に優しすぎるよ!」と男が言うのも
実は男を美化している証拠でもある。
って言うんだけどそれも男の傲慢だと思うんだよね。
男の方が馬鹿であるというかピュアであるって思っているから
そういう風に考えちゃう。
だから僕は「こういう女の人がいる」と真っ直ぐに受け止めることにした。
でもその傲慢さも含めて男の優しさとも言えなくもない。
キリがないのでやめよう(笑)
矢野顕子の「ひとつだけ」も好きだ。
この歌詞は男には書けそうにない。
「離れている時でもわたしのこと忘れないでいてほしいの」
という歌詞が好きだ。
忌野清志郎とデュエットしたバージョンもあるが
はっきり言ってこっちの方が好きだ。
「離れている時でも僕のこと忘れないでいてほしいよ」
清志郎は「わたし」を「僕」に変えた。
こっちの方が切ない。
たぶんこれが男のずるさだ。
まぁ歌っているのが清志郎というのも多分にあるが。
どうでもいい話だが
清志郎のことを話している時は乙女っぽいし
元旦那の坂本龍一と正反対だからだ。
坂本龍一は音が記号にしか聞こえないらしい。
いけないルージュマジック。
切ないよな
とか僕の勝手な妄想だ。
悲しい気分の時も僕のことすぐに呼び出してほしいよ。
ねぇお願い。