愛知のテレビ 松本人志 テレビ論

一週間ほど前のこと。

何気なくテレビをつけていた。

 

 

「今大人気のクマムシの登場!!」

 

ん?

 

今大人気の…?

 

今…?

 

大人気…?

 

 

(この番組は関東地方で2015年〇月に放送されたものです)

 

 

あったかいんだから~~~~~♪

 

 

関西の番組の”新春”スペシャル!もやっていた。

テレビで放送されたものが数時間後にネットで見れるこの時代に

6か月遅れの新春スペシャル!だ。

久しぶりに地方感を感じた。

コンテンツが足りないのだろうが

逆に面白い。

 

 

愛知県は関西の番組をよくやっている。

土曜の昼には学校が終わったら

ご飯を食べながら吉本新喜劇を見るのが

僕らの世代のライフスタイルだった。

たかじんの番組もよくやっていた。THEまい~ど。

関西の文化圏というかバラエティは吉本に支配されている。

 そんなに独占しちゃダメよ~ダメダメ

 

今は見れるかわからんが

33チャンネルに三重テレビというのがあって

西川のりおのエロい番組をよく見ていた。

砂嵐交じりだったが必死に録画した。

確かリモコンの8のボタンを押すと33チャンネルになる。

三重だから33チャンネルなのか?

 

東海テレビの宮沢アナ(夕方のニュース)と中京テレビの恩田アナ(PS愛してる)と

CBCの大石アナ(晴れドキっ!)は僕が子供のころから第一線で出ている気がする。

いつまで出とんじゃ!と思わず心の中でツッコんでしまった。

この変わらなさも地方っぽい。

東京のように外圧がないので変わらないのだ。

別に、俺は東京に出たぜ!と地方を馬鹿にしているわけではなく

客観的に見るとそうなのだ。

逆に言うと日本のほとんどが地方なので

東京の方が特殊ということである。

 

しかし宮沢アナは相変わらず美しかった。

僕は学生のとき好きだった勅使河原アナも変わっていなかった。

 

そう、とりあえず僕は愛知のテレビ局の女子アナを全部チェックしたが

CBC加藤由香アナとメ~テレの井上裕衣アナがタイプだった。

(本当はメ~テレの伊藤歩アナが一番タイプだったが結婚してしまったらしい残念!)

 

 

奇跡のアラフォー女子 CBC加藤由香アナ

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名古屋のスマイルエンジェル メ~テレの井上裕衣アナ

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は~人生をアナウンスされたい。

最近は女子アナもアイドルみたいな子が増えているが

ちょっと子供っぽ過ぎる。

一度社会人としてのちゃんとした所を

手に入れないとエロスが生まれない。

 

 

 

 

まぁそんな真面目な話はどうでもいい。

 

急に話は変わるが

これは地方のテレビとかいうことではなく

最近のバラエティで誰かのスキャンダルの話題になると

 

「ネットで検索してください」

 

という落とし方になるのだが

これが好きではない。

あと「ネットが荒れる」とか

ツイッターが炎上した」とか

も好きではない。

テレビを見ている人に対して不誠実な気がする。

こんなことを言っているからテレビの求心力がなくなるのだ。

 

勿論テレビはネットのようになんでも言えないのはわかっているが

何かネットには真実があり、もっと過激なものがあり

ここでは上辺だけで喋ってますよと

言っている風に聞こえる。

求心力を失ったことも自覚した上でのギャグではあるかもしれないが

その場でケリをつけられないくらいのことなら言わないでほしい。

ネットとかどうでもいいじゃねえか。

 

僕がなぜこんなに怒っているかというと

テレビを見てないと言いながら実はまだ僅かに期待しているからだと思う。

まだテレビに出たいと思っているし。

殆どの人はもう期待していないだろう。

 

とどのつまり何で上記のような発言が出るかというと

テレビに出ている人とか作っている人の方が

実はテレビに期待していないとうか、自信がないのだ。

だから自意識過剰になってネットを気にした発言をする。

出演者に関して、もう若い人はネットの方が優先順位が高いので

しょうがないといえばしょうがない。

 

ダウンタウンの松ちゃんとかもめっちゃ気にしてる

映画撮って評判が良くなかったのもあってそれ以降特に。

ツイッターとかワイドナショーを始めたのは

ネットの監視とエクスキューズを感じる。

元々松本人志という人は一番客観的な位置に立って

その場にツッコんで笑いを生む人なので

リアルタイムでやり取りができて

現場より客観的な”場”が生まれるネットが気になるのは仕方ないんだろう。

 

「これからはウィットではなくてユーモアの時代だ」と

松ちゃんが数年前に言ったらしい。

ユーモアというのがボケで

ウィットというのはつまりツッコミであるが

ウィットはいくらやろうとも

最早ネットという”場”に敵わないのだ。

 

ネットの情報量や技術や速度にテレビが敵うわけがない。

例えば情報量によって相対化されたり

技術によってコラージュされたり

速度によって拡散、消費される。

 

別に悲観的になる必要はなく

これを逆にすればテレビの価値ということになる。

例えば相対化しないためにお茶の間から意見など募集しない。

最新の技術を使わないで現場に足を運ぶ。

速度を捨てて番組を50何分に始めないで時間丁度に始める。

とか。

 

ユーモアの時代という意味でいうと

今はボケの要素がないと番組のMCにもなれない。

それは芸人的な、ダウンタウン的な、ウィットな目線の価値が下がっていることに他ならない。

司会者よりもっと遠いネットという所にツッコんでくれる人々がいるからだ。

一時期冠を取りそうだったM1出身者たちはことごとくそれを逃して

有吉坂上マツコの新ビック3に奪われたことが証明している。

 

というか旧ビック3を見ても元来芸人というのはそういうものだったのだ。

ユーモアの人だったのだ。

それを覆したのがダウンタウンのカウンターだった。

実はダウンタウンのボケというのは浜ちゃんである。

メタ的にその場にツッコんだ松ちゃんに対して

ツッコむというのが実はボケになっている。

その構造をダウンタウン以下の芸人はみんな大体引きずっている。

 

 

まぁそんな話よりも今は

女子アナの匂いをかぎたいと思っている。

 

 

追記

書き足りないことがあったので追記した。

要はダウンタウン以前、「芸人」というのはみんな”ボケ”だったのだ。

少なくとも漫才に関しては。

例えばヒット曲にツッコむ漫才も

ヒット曲にツッコむ変な人というボケだった。

それをあえてやってます、という「ボケ」の概念を入れたのも恐らくダウンタウンだろう。

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