ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

ニーチェとピケティとロリコン。

ニーチェを読む俺

今日は久しぶりに外に出て図書館に行った。

何かを検索したら「ニーチェも同じ事言ってるぞ」とグーグルさんに言われたので

ニーチェの本を読みに行った。

何を検索したかは忘れた。

 

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ツイッターと同じ写真で見た人には申し訳ない。

一枚は保存用として壁紙にしてくれ。

 

毎日何もしていなくても「ニーチェの本を読みに行く」と言うと

不思議と立派な事をしているように聞こえる。

スタバのカップを持ちながら

「ちょっと午後からニーチェ読んでくるわ。」

と言うと女にモテそうな気がする。

「俺ニーチェと友達なんだ。」とまで言うと

怪しまれるだろう。

そう言って付いてきた女にはこちらが警戒すべきだ。

 

ニーチェを読むこと、または物事について深く考えることを

ニーチェる」という言葉で括ってはどうか?

何か最近流行りのぺこの相方のようだが。

 ニーチェの本といっても僕が読んだのは

ニーチェの言葉」という名言が載っているニーチェまとめみたいな本だ。

いわばニーチェベストアルバム。

ニーチェゴールデンヒット。ニーチェ1844-1900。

 

 

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オリジナルアルバムみたいな本は

字が多すぎて何が書いてあるかわからないのでそっと閉じた。

所謂ソットジだ。トッポギではない。それはコリアンフードだ。

あんな難しい本を読む人がいるのか?

ニーチェファンクラブ会員は読むのだろうか?

 

ニーチェベストには「何も実績がなくても自分のことを尊敬しろ」と書いてあった。

なんだニーチェもいいこと言うじゃねーか。

何故だかニーチェが言うといいことに聞こえてくる。

ニーチェが「おしっこは座ってしよう」

と書いていれば座ってするだろう。

ただそんなことは書いていないが

僕は座ってしている。

残尿がすごい。

 

 

僕がそんな残尿感を抱えているとは露知らず

図書館の自習室で勉強している学生がたくさんいた。

よく隣に女の子がいるのに勉強できるな。

気にならないのだろうか。

僕は図書館にいる女の子が気になって

その子の視界であまり興味のない

「世界の缶詰」という本を読むフリをしてみた。

そんなことを考えてしまう奴は勉強ができないのだろう。

 

 

ピケティを読む俺

 

経済学者ピケティの本をわかりやすく解説している本も読んだ。

これもピケティまとめだ。

ピケティのオリアルは難しすぎる。

自分が割と経済の本が好きなことに気付く。

好きだからといってピケティいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい

とは叫ばない。

 

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この本によると資本主義で自由競争すれば格差は広がらないと言われていたらしい。

たぶんこれはネットや科学の進化が念頭に置かれていなかったのではなかろうか。

 ネットで買い物をすれば関わる人は減る。

例えばアマゾンでテレビを買ったら電気店の人の給料には入らない。

家まで届けてくれるので電車賃もガソリン代(運ぶ人のガソリンはいるが)もかからない。道中にお腹が減ることもない。

無駄がなくなる。

アマゾンのような大企業とテレビを作った人にしか入らないのだ。

しかも今後ドローンで運べるようになれば運送業もいらなくなってくる。

今野球のチームでもソフトバンクが一番金持ちなのはそういうことだ。

何か物を作ったり売ったりするより動かないでデータを流したりする方が効率がいいし稼げるようになった。

そういうことは経済学を知らなくても想像すればわかる。

 

ネットで一円でも安いものを買うが、別にそこで節約しても何か欲しいものがあるわけでもない。

無理やり欲しいものを作るのだ。

だからAKBのCDを何枚も買ったり、スマホのゲームにつぎ込んだり

人との繋がりを断って人との繋がりを求めるという

実はめんどくさいことを人はやっている。

苦言を呈したい訳ではない。そういう社会になったということだ。

 

あと金を持っている上の人たちは株やらなんやらをネットで取引をしていて

数字は高速で移動するが

その変化のスピードに人間はついていけないのだ。

科学は進化してデータのやりとりのスピードは上がっても

実は人間のスピードというのはそんなに変わっていない。

移動速度が少し速くなっただけだ。

そういう高速の取引をしている人達の影響が庶民に響いてくる。

リーマンショックというのも要はそういうことだと思う。

 

そんなこんなで格差は広がるが

お金がないのならそのルールから飛び出せないのだろうか。

物々交換や恩を売って欲しいものを手に入れる。

それだけではなくお金と両立させる。

リンゴを作っている人はしいたけを作っている人と交換する。

天候によってリンゴが取れないこともあるから

その時にはお金を使うか、しいたけ農家の家を掃除でもする。

まぁこれは理想論だが

今はお金の価値が強すぎる。

 

そういうことを考えるとイギリスがユーロを離脱して

世界がローカリズムに向かうのも必然ではないか。

グローバリズムではお金の価値が強くなるし

結局性善説みたいなところがある。

なーんだお金持ちは金持っても貧乏を助けてくれないんじゃん

と思い始めたら

世界を閉じてお金の流れを止めてしまった方がいい。

でもネットがあるから止められないか。

ピケティは世界共通で金持ちから税金を取れと言っているらしい。

なるほどそれが実現すれば世界を開いても大丈夫か。

 

勤勉に働くことの価値が下がっているのが問題とも書いてあった。

でもそれは仕方ないような気もする。

タクシーの運転手がカーナビができて道を覚える必要がなくなったように

単純労働の価値は下がる一方だ。

というかもう自動運転だよ!

うちの親父はそんなのが普及するのはまだ何十年も先だとか言うんだけど

スマホだって数年前には想像もしなかったのにもうなくては困る世界になっているので全然信用できない。

まぁ庶民がそんなことを心配してもしょうがないのだが。

便利になればなるほど所謂「労働」の価値は下がる。

 よく小泉元総理の構造改革で格差が広がったといわれ責められるが

ネットの存在を考えるとやはり時代が望んだ必然とも思える。

 

 

 

そんなことを考えながら女子中学生を眺めていた。

ロリコンではない。

正直言うとたまにそういうエロ漫画を見たりするが

特別興奮する訳ではない。(なんの暴露だ)

というか女子中高生好きは年が離れているだけであって

別にロリコンではない気がする。

しかし男は誰しもロリコン性を抱えているのも事実だ。

必死に言い訳すると逆に怪しくなるのでやめよう。

 

 

全然関係ない話だがアイドルを襲ったり女性を監禁したりして

捕まってる奴の姿を見ていると

スウェットを着ていて冴えなそうな奴ばかりで自分が重なる。

僕はそういう犯罪を犯したりはしないと思うが親近感を覚える。

だからこそ憎悪が湧く。

 

そんなことはどうでもいい。

もう眠い。

寝よう。

おやすみみつお。