ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

物を捨てることについて。

そういえばお盆の時に親戚が来るというので

子供の頃からずっと実家に置かれている服を整理した。

この前は水素水整水器を買いたいと言っていた母親を庇ったりしたが

こんな汚い家で買ってどうする。

親にもしつこく言って服を整理させた。

 

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これは家の車庫今は倉庫であるが

ここは整理していない。

めんどくさい。

 

 

服は母親が誰かにあげるらしいので

捨てたのは実際半分くらいだ。

ユニクロとかで安くてそこそこの服が買えるこのご時世に

何年も前のノーブランド服をもらう奴なんておるのか?

と思ったが

貧乏な僕の叔父さんは貰っていった。

直径10センチの穴の空いた靴下を履いているような

叔父さんだ。それは貰うだろう。

 

おばちゃん世代は貰うかもしれない。

感覚が昭和で止まっているし。

うちの母親もそうだが

いるかいらないかは置いといて

とりあえず貰ってくる

という習性がある。

昭和はモノに溢れていたのだ。

それが幸せだった。

 

前に何かのテレビで聞いた話で

車を売るときに欧州などは

車だけを置いてシンプルな展示にするのだが

日本はそれだと売れないらしい。

「何%OFF!」とか「大安売り」とか

ペタペタペタペタポップを張らないと人が立ち止まらないんだと。

日本の家ってなんかそんな感じだよな。

 

この前も近所の新しめのスーパーに行ったら

ガラス窓が張り紙だらけで

既にテープの跡だらけだった。

日本人自体貧乏性なのかもしれん。

 

でも金持ちの同級生の家は物が少なかったな。

やっぱり金持ちは物を捨てられるのか。

あまり落ち着かなかったが。

 

そう、物が少ないと落ち着かない。

日本人は物をクッションにしてコミュニケーションをしているのかもしれない。

物がないと剥き出しの人対人という感じがする。

 

それはそれとして

物を捨てられない人に対して

「スペースに金を払ってると考えて!」

とかいう理屈があるが

田舎の場合スペースが余っているので

その理屈は通じない。

物>スペース

なのだ。