ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

BUMP OF CHIKENと9.11

BUMP OF CHIKENっていうバンドは僕にとって特別だった。

友達がある日僕の家に

「このバンドいいよ」と言ってMDを持ってきた。

その時初めて聴いて一瞬で気に入った。

何度も聴いた。

特に「ホリデイ」という歌が気に入った。

 

友達がMDを忘れていったので

MDをコピーした。

僕はMD→MDが出来る最新鋭のビクターのコンポを持っていた。(しかもレインボーに光る!)

 

今思い出したが忘れていったのではなく

コピーを頼まれていたのかもしれない。

僕はMD→MDが出来る数少ない

人間だったので友達の間でコピー係になっていた。

僕はそういうことをやるの好きなので

狙って買った部分がある。

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僕だけではなくゼロ年代前半に青春期を過ごした

現在20代後半から30代前半の世代の

人間にとっては何か特別なものがあった。

他の音楽とは一線を画す、何かがあった。

 

なにか答えを示してくれるような。

答えといっても

世の中の事象に関わることではなく

自意識の問題だ。

 

宮台真司に言わせれば

このバンドの歌は自意識過剰らしい。

確かに全くその通りである。

そしてそれに共感した僕らも自意識過剰だ。

 

自意識過剰とは

つまりは疑り深い訳であるが

では何故疑り深いのかと考えると

それは一つはやはりネットの存在が大きいと思う。

 

この人はこの場では笑っていても

家に帰ってからメールや掲示板で愚痴っているかもしれない

と考えると自意識過剰にならざるを得ない訳だ。

 

そこから今の時代は少し変わってきている。

今はネットがある前提で動いているので

「パリピ」や「オタク」といった

自分をカテゴライズする言葉を自分で言う。

先手を打てば突っ込まれない。

ある種の開き直りではあるが

自意識過剰すぎる故の開き直りである。

 

ネットによって培われた

巨大な自意識というものを抱えながら生きるのには

開き直るくらいでないと辛いのかもしれない。

 

 

僕らの世代が疑り深くなった

二つ目の要因は

9.11の同時多発テロ事件だ。

 

僕はあの日のことを今も覚えている。

ニュース速報のテロップが出て

その後にニュース23のCMで筑紫哲也が「アメリカのワールドトレードセンターに二機の飛行機が突っ込みました」というようなことを言った。

 

アメリカ的な価値観とその後ろを付いてきた日本の理想が

脆くも崩れ去った瞬間だった。

この事件を知った時に

「なーんだ世界は全然平和じゃないじゃん」

という気持ちが沸き起こったような気がする。

 

当時中学生だった僕は難しいことはわからなかったが

何か周りの大人たちに

嘘をつかれていたような気がした。

今思えばそんな感覚だった。

そしてなんとなくわかった

世界は混沌に向かっていくと。

 

僕らはもう騙されてはいけないと

疑うことを前提に置くようになった。

 

 

BUMPに話を戻すと

少し引いて見れば

彼らの歌は良く言えばセンチメンタルだが

悪く言えば幼稚かもしれない。

 

正直、ファンでも

絵本風の歌詞カードとか

「これはちょっと…。」と思ったことが何度かある。

 

天体観測」にしても

いつまで子供時代のことを引きずってんだよ!と

ツッコまずにはいられない所もある。

 

しかも「イマも一人追いかけている」という歌詞があるが

彼ら自体は幼稚園からの同級生である。

別に歌詞と歌い手が同じ境遇である必要はないし

同級生だからこそこの歌が響くのだが

昔の大人なら

「さっさと宿題してクソして寝ろ!」と

一蹴していたはずだ。

 

因みに僕が好きな歌は「車輪の唄」だ。

BUMPの歌詞は後にもっと観念的になっていくが

この歌には他意がないので好きだ。

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「真っ赤な空を見ただろうか」という曲も好きだ。

 

「夕焼け空 綺麗だと思う 心をどうか殺さないで

そんな心 馬鹿正直に話すことを馬鹿にしないで」

という歌詞がよかった。

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結局僕はフォーク好きなのだなと思う。