ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

皮肉が求められない時代。

世の中皮肉だらけ

 

僕は割と人よりお笑いの構造とかに興味がある方だと思うが

今の時代皮肉が求められなくなってきていると感じる。

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「求められないという」のも少し誤解を与えるか。

皮肉を言うことが特別ではなく

皮肉を言っても上に上がれないという意味での「求められていない」

 

逆に言うと

世の中が皮肉だらけなのだ。

 

もっというと

皮肉が皮肉でなくなっているというか。

 

以前も書いたけど

太田光

 

僕らの世代はビートたけしが青春ドラマを茶化したものをそのまま受け取ってしまった

 

と言って

水道橋博士がそれに同調したように

当然それより下の僕らはビートたけしに影響された人たちを見て育ったわけだから

そのまま受け取っている。

 

別にお笑いだけの問題ではなく

今の社会全体がそうなのだ。

 

ミスチルの桜井さんが「HOME」というアルバムを出したときに

「ロック」が「反体制」だとするのならば

もう普通に家庭を大事にしていますよってことを

歌った方がロックなのではないか?

と言っていたことも同じだ。

 

超簡単に言えば昔は

「明日は今日よりも良くなるだろう」

っていう風にみんな思ってて

それが前提にあったんだけど

今は最早それが少数派になっているのではないかということ。

 

 

皮肉はあくまで「ネタ」

 

しかし、”それ”があった昔から

皮肉ばかり言っている人は上には上がれてない気がする。

 

ビートたけし

例えば皮肉だらけの伊集院光の深夜ラジオも

それはあくまで「芸」であり「ネタ」であり

(ということを言うとネタばらしになるが)

僕らのような「持たざる者」の

ルサンチマンを晴らし、溜飲を下げ

「救い」を与えるための「芸」である。

それがお笑い芸人が見せる「夢」だったし

「マジック」と言ってもいいかもしれない。

 

今はそれが社会の本流になった。

そういうものを真正面から捉えてしまった僕らというのは

何か江戸川乱歩の小説を読んで

実際に人を殺してしまう奴に似てる感じもする。

 

しかしだ

しかしネタばらしを言っちゃうと

売れてる芸人は人に信用されて

金も稼いでる億万長者なのだ。

だから普段から皮肉を言っているわけではない。

 

というのを最近見ているホリエモンの動画で思った。

皆さんのホリエモンのイメージというのは割と

なんでもかんでも否定する人に見えているのではないだろうか?

 

でも動画を見ていると彼は人に対して

超ウェルカムな人なのだ。

いいね、いいね

って感じで心のいいねボタンを押していくのだ。

 

 

何故、皮肉が力を持ったのか?

 

 

んで

なんでこんなに皮肉が力を持ってしまったかというと

ネット上で文字だけのやり取りばかりしているからであると思う。

 

例えばビートたけしが被災地の泥棒に対して「射殺しろ!」といったことに対して

もう今の若者というのは額面通りにしか受け取れず

殆どがその行間を読めない。

たけしが講談社を襲撃した時に母親が「死刑にしてください」

と言ったその行間とかね。

 

勿論時代の流れもある、バブルが崩壊したとか。

たけしが映画に行って直接暴力表現を描写しだしたのも

お笑いの逆説みたいなことが通じづらくなってきた

からではないかと思っている。

 

 

乱文になってしまった。

とにかく僕は皮肉みたいなことをなるべく

言わないようにする。

そういうことはみんなが言っているから。

心のいいね!ボタンを押しまくりたいのだ。