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日本語の重さと「愛してる」言えない問題

日本人の演技について

 

さっきまで山田太一脚本のドラマを見ていた。

セリフを一言一句そのまま読ませるのが

山田太一の特徴である。

 

ドラマ自体はそんなに面白くなかったが

この演出は逆に新鮮と言うか

「言葉」でコミュニケーションをとる

日本人には理に適っているような気がした。

 

さもなくば日本人の「演技」はアニメ化し「キャラ」

になってしまうのではないか。

キャラになってしまってはタレントにフォーカスが当たり

お話を語りにくいのではないか。

 
 よくアニメの実写化が「またかよ~」
といった感じで批判されるが
じゃあ堤幸彦クドカンのオリジナル脚本の映画が
 アニメ実写映画と作品的に差があるかといったら
ない。
 
ほとんど同じ。
日本人の演出の方向というのは
原作がアニメであろうがなかろうが
大して変わらないのだ。
 
話が少しずれたかもしれない。戻そう。
例えば「シン・ゴジラ」は山田太一的な
「言葉をそのまま読ませる演出」を逆に利用して
俳優ではなく監督が付けたい
キャラに落とし込むことに成功した。
 
庵野秀明はアニメの人なのでタレントの
イメージが邪魔だったのかもしれない。
 
言葉でのコミュニケーションをとる日本人の

「自然な演技」を撮ろうと思うと

どうしても「静」が多くなり

お話を転がすのが難しい。

 

例えば是枝裕和のように

映画館という能動的な空間

大画面だからこそできるロングショットによる映像の情報量の多さ

で「動きのなさ」をカバーすることは出来るが

テレビでは難しい。

その是枝裕和ほどの腕を持ってしても
「何も起こらなかったな~」と
感想を述べる人は結構いる。
映画に対して能動的でない人は
そういう感想を持ちがちだ。
 

そもそも「自然な演技」矛盾した言葉だ。

しかし何故だか外人はそれが出来る。

これは逆に考えて

普段から演技しているのだ・

 

日本人は「静」か「動」かだ。

言葉にするか、しないか

演技するか、しないか

 

なので 日本人には「自然な演技」というものが

そもそもないのかもしれないというのが

僕の結論だ。

 

日本人の「自然な演技」は

演技をしていない状態なのだ。

 日本語の重さについて

 

今日、山田太一のドラマを見る前から

考えていたことがある。

僕は外人の方がコミュニケーションしやすいような気がする。
 
 いや、してないけど。
 
 
日本語というのは言葉の意味が強すぎて
 
僕みたいなもんは黙ることも結構多い。
日本人は言葉に敏感すぎるのだと思う。
 
 
言葉でコミュニケーションするから
言葉が多くなって
その言葉を選んだからには
それ相応の意味があるだろうと人は考えるので
更に意味が付きまとう。
 
外人、というか外国語は
「ニュアンス勝負」みたいなところが多いのと
そもそも僕が言葉の重さを知らないので
楽にコミュニケーションできるのだ。
 
それにしても日本語は世界一重い言葉だなと思う。
 

「愛してる」言えない問題

 

よくバラエティなどである

「日本人は「愛してる」なんてよう言わん!」(明石家さんま

みたいなことも日本語の重さから考えると充分にわかる

歌詞でも言う人と言わない人がいる。

 

 

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僕の好きなミュージシャンで言うと

ミスチル桜井和寿は言うがくるり岸田繁は言わないし

忌野清志郎は言うけどフジファブリック志村正彦は言わない。

(志村はこのことについてインタビューでも「言わない派」だと答えていた)

 

しかし、

それで相手が喜ぶなら

僕は「愛してる」くらい言ってやろうという気持ちがある。

そこに対して照れることや重さを感じていることの方が

ダサいような気もするし

言うことによって逆に言葉の意味から解放されたいという気持ちがあるので

言ってやろうという気持ちは持っている。

昔の彼女にも言ったような気もする。

 

言葉の重さを感じながらも

言葉なんかただの言葉だということを

どこかわかってほしいのだ。

 

だって所詮歌なんか歌なんだし

何歌ったっていいじゃん。

 

そんなわけで

みんな愛してる。

 

さよなら。

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