ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

「逃げ恥」ヒットに見る、漂白された人生観

今日は「逃げるは恥だが役に立つ」とかいうドラマについて書きたいと思う。

通称「逃げ恥」。

 

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話題になってるので何話かチラッと見たが

どこが面白いのか全く分からん。

 

おめーら童貞と処女かよ!

気持ちわりーんだよ!

 

と感じてしまう。

 

まぁ原作が少女漫画なので

んなこと言ってもしょうがないし

今の日本のドラマも映画も全部そんなもんだし

非モテ男が見るようなものではないことは

重々承知なのですが

 

こういうものが世間のお姉さま方に

やたらとウケるというのは

どうなんでしょう?

 

男が年端もいかないアイドルを

応援している気持ち悪さの逆バージョンなんですよね。

恐らく。あとアニメ。

 

別に僕もアイドルは好きだし

「君の名は」も絶賛したのですが

やたらとそういうメディアばかりが

絶賛される傾向に正直辟易としてます。

 

「そういうメディア」というものには

「漂白された人生観」

と名付けようかな。

 

死とか痛みとか臭いとか

そういう多くの感覚を

最近の社会は全て遠ざけているような

そんな感じがしているのです。

 

「ガッキー」もかなり漂白されていますね(笑)

言葉が出来ると漂白されるような気がする。

 

 

一言で言えば「潔癖」になっているのでしょう。

人生観が。

 

というか今は二極化しちゃってるんですよね。

「自宅で見れる映像」と「現場体験」も

そこをスパッと分けちゃってる。

 

でも僕が好きなのはアメリカンニューシネマの

真夜中のカーボーイ」とか「タクシードライバー」とか

あと是枝裕和さん映画とか

映像で手触りを感じることが出来る作品なんです。

 

視覚と聴覚だけなのに手触りを感じるんですね。

別に3Dとか4Dとかにしなくても

感じることができるんですよ。

やはりそういう作品が僕は好きだなぁ。

 

人間が生きることの肯定。

「業の肯定」を感じるんです。

 

それに関連した話で

ミスチルの桜井さんがCDショップ応援活動というのをやっていて

僕はずっと「CDなんてもういらねーだろ」と思ってたんですが

ネットに簡単にアクセスできるのと反対の考えで

あまりにも世間が「現場主義」に傾くのもどうなんだろう?

と考えが変わってきたので

この活動は凄くいいなと思いました。

 

 

CDを買うくらいのことでも

色んな人と繋がるし

そこに行間があり

そこにこそ本質があるということを

わからせたいっていうかね。

 

想像っていうのは自由ですから。

 

別にライブに行った回数が多ければ偉い訳じゃないし

自分が行ったと思えば行ったんだよ!!

 

自分が世界の中心だと思えば中心だし

端っこだと思えば端っこだし。

 

というようなことを

世間の人たちはもっとわかれよ!

という感じは僕はいつもしています。

何を言ってるかわからん人はほっといてください。

 

そいうことを僕はミスチルの歌から教わったんですが

それはいいとして

この世界にはもうちょっと想像力を働かせるような余地が

残っていた方がいいような気がします。

 

その想像力が「業の肯定」に繋がるのと思うので。

「業の肯定」とは

つまり想像力だったのですな。