『結婚』は無意味だからこそロマンがある。
最近、『結婚』したいなと思いました。
(仕事もしてないのに)
スーパーに行って車に乗ってる子連れの家族を見たとき。
(僕は自転車)
『結婚』っつーのも、なんかいいなぁ。
ただの書類上の契約ではあるけど
やっぱりなんかロマンがある気がする。
無意味だからこそ意味があって
無意味だからこそロマンがある。
一方でモテて女の子と遊びまくりたい気持ちがあるが
恐らく今後そういうことはないだろう。
モテるモテないに関わらず
そういう性格になれない気がする。
あと最近また物を捨てるブームでして
小さい時から持ってるぬいぐるみとか
学生時代の教科書とか
とりあえず捨てられる物からちょっとずつ捨ててるんですね。
僕の子供ではないけど、もう次の世代が生まれてるし物を捨ててると「大人になるとはこういうことか!」って思うんですよ
大人になるって「捨てる」ことじゃないかと。
物理的な物以外も捨てること。
結婚するってことも書類上の契約だけですけど
他の女の子と遊ぶ選択肢を捨てて責任を負うってことですからね。
そういう風に考えると『自由』とは何かってことも考えるんですよ。
「結婚という制度はリスクが大きいから変えた方がいい」
みたいな意見も最近よく言われますが
何の縛りもない『際限のない自由』って
果たして面白いんだろうか?って。
つまり、生きること自体が無意味なのだから
『意味』を追求していってしまうと死にたくなるので
だからこそ意味のないことで自分に枷をはめるというか。
そっちの方が楽しく生きられたりすんじゃないかなと
思ったり
思わなかったり
ラジバンダリ。
あー歳取ったな。