ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

悩んでいるあなたは魅力的です。

こんにちは!!

天才シンガーソングライターアイドルクリエイターラッパーの

ショーちゃんです!

 

50円で作詞作曲を売ってるんですが売れないので

勝手に人に歌を作ることにしました。

 

僕が最近見ている漫画家Youtuberのピョコタンの歌

 

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YoutubeにコメントをくれるジャンジャカTVさんの歌

 

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ホームレスしてる時にお世話になった来未炳吾さんと澤村さんが

やってるカブキモノというNPOの歌。

 

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カブキモノというのは

生きづらい人たちの力になりたいという思いで

結成された団体である。

 

正直言うと僕は「障害」というものがよくわからない。

僕は障害者でも貧乏でもないが

学校も行ってないしバイトも行きたくなくなったし

突然、自らホームレスになるし

はっきり言ってまともに生きていない訳である。

 

科学が進んでいくと「セクハラ」や「モラハラ」のように細分化されて

病気や障害の名前が増えていく。

果たしてそれがいいのかどうかというのは

よくわからない。

 

病気と聞かされて安心する人もいるだろうが

「俺病気だから」と自分で線を引いてしまう人もいると思う。

これは病気に限らず「人見知り」とか「ブサイク」とかでも

同じことだ。

 

例えばうつ病などを説明するときに

それ以外の人たちを「強者」と名付ける人がいる。

 

いや、違う。

誰だって弱いし

誰だって強いかもしれない。

 

例えば電通という一流企業に勤めていながら自殺した彼女は

強者であったか弱者であったか

勝ち組であったか負け組であったかというのは

どちらでもよいことで

誰でも等しく困難があり

それを認めるということが大事だと思う。

 

そして他人が「無神経」であることも許容しなければならない。

よく「障碍者を理解しよう」という言葉があるが

障害があろうがなかろうが人と人は理解し合ってなどいない。

 

この言葉には「いじめをなくそう」と似たものがある。

そこにだけ性善説が適用される。

標語なんだから何言ったっていいのだが

それを信じて期待して「裏切られた」と思う人がいるとしたら

そんな言葉はやめたほうがいい。

「システムを変える必要がある」とかなんかそういうことにした方がいい。

 

逆に言うと人というのはもっと残酷なのだ。

「顔がかわいい」とか「自分に得がある」と

思ったら近づこうとする。

 

オレンジデイズ』というドラマがあって

柴咲コウが耳が聞こえない人の役をやっていたが

柴咲コウだったら僕も手話を学んで話しかけたいと思うだろう。

そんなもんだ人間。

そういう残酷さを許容しなければいけない。

 

この話をまとめると

結局、僕は『自己愛』であると思う

自分で自分の首を絞める必要はない。

 

そして僕に何が言えるかというと

「一緒に頑張ろーぜ」ということだけである。

悩んでいるあなたは魅力的です。

 

最後に僕の好きな歌詞を書いておく

Mr.childrenの『擬態』という曲だ。

「富を得たものはそうでないものより満たされてるって思ってるの?

障害を持つものはそうでないものより不自由だって誰が決めんの?」