ウーマン村本の戦争論について思うこと。
ちゃーす
メンヘラホイホイシンガーソングライターしょーたんです☆
たまには真面目な話でも書いてモテたい。
「僕は国よりも自分のことが好きなので絶対に戦争が起きても行きません」
こう言った、ウーマンラッシュアワーの村本さんの発言が話題だ。
自殺願望でもない限り、わざわざ戦争なんてしたくはない。
誰だってそう思っている。
この発言を聞いてそりゃそうだと思ったし
ある種非常に耳障りのいい言葉に違和感も覚えた。
僕は相手が銃を持ち構えて殺そうとしてきたら
相手を殺すだろう。
いや、自分はまだいいが好きな女の子に銃を向けてたり、或いはその子が殺された場合、迷うことなく殺す。
でも戦争反対である。
それは矛盾だ。
そういう仇討をしないように人は法というもので罪を裁くようになった。
村本さんは「自分が撃たれている間に家族を逃がす」と発言していたが
復讐心を否定する必要はないし、
戦争に行った人たちに、村本さんと似たような気持ちがなかったと言いきれるだろうか?
「お国のために」というのは別に「国」という文字のために戦争をするわけではない。
そこに暮らす家族、恋人、友人のためにということで
国とは人なのだ。
つまり何が言いたいかと言うと
国を愛することと、人を愛すること、自分を愛することは相反しない。
というか全て一緒なのだ。
村本さんの発言に対して
「国のために命を捨てないのか!」という批判が来るのは
村本さん自身が国と個人を分けて単純化して考えているからである。(まぁそうやって炎上させるのが狙いでもあるけど)
戦争したい人や、戦争に行った人たちが
自分のことを愛していないか?
家族を愛していないか?
というとそうではないだろう。
全ての人の頭がとち狂っていた訳でも無い。
逆もまた然りで、自分を愛している人が国を愛していないかというと、そういうことでもない。
君を愛してる僕と
君を殺したい僕は
同じだ。
愛が人を殺すのだ。
貧困や利権や宗教、色んな問題があるにせよ、戦争が起こる理由の根本というのは
人間一人一人の個人的な愛なのだと思う。
愛は複雑だ。
例え愛が人を殺すとしても
人は愛するほかに他人を思う術を知らない。
そこに矛盾があるから戦争を否定するのは一筋縄ではない。
それともう一つ、現実的な話をすれば
日本は最近戦争をしていないがアメリカが戦争で得た利権を、我々日本人が享受してないと言いきれるだろうか?
中国で劣悪な環境で働いている人は我々日本人と無関係なのだろうか?
実は戦争を否定するということも矛盾を抱え
綺麗事ではないのである。
それでも否定するべきなのだと僕は思う。
愛の矛盾について歌った
Mr.Childrenの「タガタメ」といういい歌がある。
「子供らを被害者に加害者にもせずに
この街で暮らすため
まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず性懲りも無く
愛すこと以外にない」