ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

僕が不登校になった理由

明日で一般的な学校というものの夏休みが終わる。

8月31日は子供の自殺が多いらしい。

 

僕も学校に行くのが苦手で不登校になったので今日は幼少期の話に交えて

そこら辺のことを書きたいと思う。

 

 

最近、物凄く鬱々としてるので

何か心の処方箋となるものはないか?という思いで

テレフォン人生相談YouTubeで聞いている。

 

加藤諦三という心理学者によると

僕みたいな甘えた愛情欲しがりちゃんは

幼少期に母親の愛が足りなかったらしい。

 

確かに僕は両親揃ったごく普通の家庭で育ったが

次男ということで放っておかれた部分が多々ある。

 

僕の記憶にはない3、4歳の時の話だが

母親が寝てる僕を車に置いてって買い物に行き

目が覚めた僕は母親を探しに車から降りて探しに行ったが見つからず

泣いているところを警察に保護されたという事件は今も我が家の語り草である。

この前実家に帰った時もこの話をされた。

 

基本的にうちの母親というのは適当な人だし、

僕が保育園に行きだした年くらいから

保険の営業の仕事を始めたので忙しかった。

その時くらいに家を新築したので金を稼がなければならなかったのだろう。

 

因みに建て直す前の家は死ぬほどボロかった。

淡い記憶だが直径30センチくらいの蜘蛛が風呂場に出たり、台風の度に屋根が剥がれるのをうのじいさんが直していたりした。

 

僕の父親の母親は(僕から見ればおばあさん)は父が高校生の時に亡くなりそこからじいさんは再婚もしていないし

母親も両親が離婚していて中卒で働き始めるくらい貧乏だったので

あのボロい家に住んでいたののかもしれない。

(「中卒でもちゃんと働いているんだから」というのが母の口癖である)

 

 

話を母の適当さに戻すと

僕が通っているスイミングスクールが何時に終わるというのがわかっていても

一時間以上平気で待たせるのがうちの母である。(僕が今でも待たされることに腹を立てないのは母のお陰だ)

しかもその後僕を車に乗せたまま、保険の集金に付き合わすこともよくあった。

 

忙しさもあってか僕が小学生の時には料理もあまり作らなくなった。(しかもたまに作っても下手だった)

惣菜を買って来ることが多かったが、たまにテーブルに金を置いておくということもあり

ともかく買ってくる時間が遅いので腹を空かすのが嫌だった。

早くても夜8時くらいだった。

その後また出かけた。

 

その代わりお菓子やジュースはいつも家にあり、僕は遊びに出かけるということをせず友達を家に呼ぶ派になった。

家は溜まり場になったのだ。

僕が能動的にアクション出来ないというのは今も続いているが、この時の経験からだろう。

 

僕は要求できない子供になった。

寂しいと言うどころか

みんながマウンテンバイクに乗ってる中、兄のお下がりの古い自転車が嫌だったが親に言えず

更に出不精になる。

 

こうやって一つ一つ幼少期の記憶を整理していくと環境によって人格形成されるということが良くわかる。

 

僕が先の予定などを立てるのが苦手なのも

愛されてない不安感で好きな子から誘われた場合に予定が入っていたら嫌われるのではないか?という恐怖心があるような気がした。

 

勘違いしないで欲しいが別に母親を恨んでいる訳では無いない。

完璧な家庭などないし完璧な親などいない。

たまに金を借りるので感謝している。

でも金貸してくれるから感謝しているとかそういうのがダメなのか!とも思ったりしたけど、とりあえず置いておこう(笑)

 

 

その後、僕は不登校になり引きこもりになる訳だが

今になってみれば何故学校に行けなくなったのかということもわかる気がする。

 

僕は子供の頃ひょうきん者だっだのだ。(今もひょうきん者であるつもりだ)

 

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こんな寝方、ひょうきん者でなければ有り得ないだろう。

 

それはいいとして

家族の前でも友達の前でも僕のスタンスは同じだった。

これは今になってみてわかったことだが

僕に対しての母親の適当さが「ひょうきん者でいなければ愛されない」という恐怖を生んだのだろう。

 

そして中学校に入り不登校になる。

中学生になると勉強が難しくなり、何もしないでもそこそこ勉強できる位置を確保してた僕は苦しくなる。

運動にしても同じことが言えるし

決断力ということに関してもそうだろう。

 

自分で決めなければいけないケースが増えてくるが能動的に動き決断するという経験が僕には全くなかった。

おまけに異性の目も気にってくるのである。

ウジウジしている自分を見られたくないのだ。

 

そういう状況で僕はひょうきん者であることを

続けられず不登校になった。

中学生が勉強ができない事やモテないことを笑いに昇華出来るはずもない。

 

しかし、もっと記憶を掘り下げてみると僕は中学校以前に保育園に行くのが嫌だった。
遅刻してみんなが待つ部屋に行ったりすることが特に嫌だった。
まるで太宰治の話のようだが
その時からひょうきん者の仮面を被っていたのかもしれない。

 

勉強や運動が出来ないなら努力して頑張ればいいじゃないかと思う方もおられるだろうが

愛を渇望する人ほど不安を抱えており

その先に行ってもどうせ愛されないだろうという気持ちは強い。

僕はこの歳になっても未だに何かを続けて達成したという経験はほぼない。

すぐ辞める。

 

これは所謂「メンヘラ」と呼ばれるような女の子たちと出会い系で知り合い、会ってきて僕が感じた事だが

「愛されたい」という気持ちが強い人ほど

愛されるのが下手だ。

無償の愛を欲しがっている。

 

 

 

 最近僕が気に入ってる言葉がある。

これも加藤諦三の言葉だ。

 

「ありのままの自分では愛されないということを認めなさい」

 

ともすればこれをネガティブな言葉として捉える方もいるだろうが

僕の心には凄く前向きな言葉として染み入った。

 

なるほどそうか 。

何かしなくては愛されなくて当たり前なんだ

ならばこれから僕が行動することはすべてプラスになるかもしれない

「愛されなければ」という焦燥から解放されたように感じた。

 

ホリエモンが著書で「何も無い自分に小さなプラスを足していけ」言っていたが

まず自分には何も無いということを認めることが大事だ。

 

思い出した。

僕はそれを物理的に実感するために

持っていた本もCDも服も家具も捨てアパートを引き払いホームレス生活をしたのだ。

 

いろんな人に会い、時が経つにつれ

また物理的にも精神的にも持ち物が増えてしまった。

また捨てなければいけない。

 

愛されなくて当たり前なんだ。

 

ならば僕はもっと自由に生きられるかもしれない。