大阪の地震の犠牲者と「万引き家族」
大阪で大きな地震があって学校のブロック塀が倒れて小学生の子供が死んだ。
子供が犠牲者ということもあり、このニュースを聞いて胸が痛んだのだろう、ツイッターではネットに落ちている画像の僅かなヒントを頼りに
「このブロック塀の建築は違法ではないか?」
という捜査がユーザーの間で始まる。
こんな画像だけでわかるのか?と思ったが、建築業界の人も言っているので恐らくその推理は当たっているのだと思う。
すべて善意だし、正論だ。
でも僕はなんか違和感を感じた。
これどっかで見たな。この感じ。
あっそっか「万引き家族」だ。
あの映画で「そんなのは家族ではない」とか「万引きは犯罪である」とか行政の『社会的な人達』は言ってくるのだ。
対岸にいる人達は容赦なく正論を投げかけてくる。
そこには善意がある。
ブロック塀の災害には悲しみもある。
でも一旦落ち着こう。
違法建築であったかは災害現場周辺の人達や警察や政治家やメディアが調査するだろう。
みんなが嵩に掛かって捜査し断罪する必要が果たしてあるのか?ということを考えたい。
学校の建築だっていろんな人が関わっているし、いろんな人が生きている。
情報の受け手はそれを咀嚼するのに時間が必要なこともある。
今回の件に限らずツイッターなどで断罪を繰り返す人は、感情を早くどこかにぶつけたいだけのようにも見える。
そうしないと情報を消化できないのだろう。
しかしそういうことばかりしていると逆に本質から遠ざかってしまう気がする。
本質とはつまり「命が亡くなって悲しい」ということだ。
もう少し時間をかけよう。