「いじり」と「いじめ」について考える。
ウーマンラッシュアワーの村本さんがいじめダメっていう講演をやってネット上で評判がいい。
ちょっと前の時代なら芸人がいじめをやる側で、やってることを見てそこで日頃の鬱憤が発散されるって役割があったけど
もう世間様は芸人にそういうことを求めていない。
そういう時代ではなくなった。
それはすべての関係がフラットになったから。
職業もフラット化した。
でも「笑い」っていうものはそんなに清廉潔白ではなく、いじめの要素もちゃんと入ってる。
実は。
ウーマンラッシュアワーの漫才だってバイトリーダーが失敗するから面白いのだ。
自分を笑いものとして演じてるから、気づかないだけで
それを笑っている人達の目線には差別的なものが含まれる。
人は人が失敗しするのを見て安心する
だから笑う。
滑稽ということだ。
もっとわかりやすく言うとトレンディエンジェルとか。
自分のハゲをネタにしてるので
視聴者は罪悪感を感じないけど(それが芸なのだ)
ハゲてる人を笑っているのだ。
それだけのこと。
そういうことで言うと
松ちゃんとかロンブー淳とか
「いじり」と「いじめ」は違うとか言う無責任な芸人は好きじゃない。
一緒だろ。どう考えても。
いや、ちゃんと十字架を背負えよと。
俺は悪い人じゃないよ宣言。
好きじゃない。
残酷だから面白いんだろうが。
そんでじゃあ、
社会に「いじめはダメだよね」っていう標語が広まって
みんなが芸人やテレビがやることに対して敏感になってるけど
一方で失敗した人をみんなで責めたり、変な人を勝手に写メを上げて笑いものしたりしたりしてるのは一体なんなんだろう。
「いじめ」っていう枠に入ってるものをやってはいけないってことだけしか考えてない阿呆になってるんじゃないか。
いじめか
いじめじゃないか
ってことじゃなく
人間は等しく残酷なんです。
でもそれが笑いなんです。
それを背負って生きるんだよ
馬鹿!
ビートたけしが出てきた時のリアリティや逆説の本質はそこにあったと思う。
リアルタイムで見てないけど。
笑いだからといって、昨今はただ単に客を気持ち良くさせることばかりに寄ってしまっている。
それはダメだ。
でもそういう曖昧なものを
背負って生きるのはみんな嫌いなんだ。
どっちかにしたい。
白か黒か。
いい者か悪い者か。
そうしないと疲れるから。