ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

知恵遅れの親戚のおじさん。

ブログで兄貴の美容室の宣伝をしていたら説教された。

まぁ無職で風俗の話とかも書いていたので仕方ない。

宣伝はやめることにしよう。

面倒なのでフェイスブックの友達もやめてやった。

 

普通の人は不特定多数の人に見られるところに

内情を書かれるのは嫌なのだ。

イメージというものがあるのだイメージが。

イメージが関係ないのは僕だけだ。

 

ただ僕は自分が働いてなくて人に助けて貰ってる手前

できるだけ正直にブログ等を書きたいと思っている。

それが罪滅ぼしだと勝手に思っている。

 

しかし、風俗の素晴らしさを語った彼女とセックスレスのK君は

ブログに書かれて喜んでいた。

「最高!」とか言っていた。

やはり彼は頭がおかしい。

 

 

翻って今日は僕の親戚のおじさんの話をしよう。

僕の母親の兄弟に知恵遅れの人がいる。

 

正式な病名があるかもしれないが

母が知恵遅れと言っていたので

そのまま書こうと思う。

僕もそこら辺に詳しくない。

調べる気もない。

 

 

僕が学生の頃

おじさんは家の庭の

草刈りをしたり

犬の散歩をしたりして

母から小遣いを貰っていた。

小遣いというよりは生活費かもしれない。

 

 

 

中学三年時の僕。おじさんではない。

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あれは中学三年生のある日、

僕は友達を家に呼んで遊んでいた。

遊び部屋の隣でおじさんが

寝転んでテレビを見ていたので

「あのおじさんは誰だ?」と

友達に聞かれた。

 

 

僕は

 

「あの人は妖精だ」

 

とか適当に答えて茶を濁した。

 

ウケた。

友達にはウケたが

僕は本当は恥ずかしかったのだ。

そういう人が身内にいることが。

 

でも僕はおじさんに

なんとなくシンパシーを感じていた。

僕と同じく、ダメそうで、孤独そうだったからだ。

でも好きではなかった。

いい人でもないし。

 

当時は学校に復帰していたが

中学校を一年以上登校拒否していた僕と、おじさんは

社会のつまはじき者だった。

シンパシーを感じていたからこそ恥ずかしかったのだ。

おじさんの存在が自分の恥部でもあった。

 

思えば東京の公園で孤独そうな知らないおじさんに

話しかけて喜んでいたのは

そういう経験があったからかも知れない。

ぼっちおじさんの中に、僕は自分を見ていた。

自分を慰めていたのだ。

 

東京の公園で話しかけたぼっちおじさんの一人は

僕のおじさんと同じ名前だった。

 同じくダメそうで、孤独そうだった。

 

僕のおじさんは今

障碍者手当を貰いながら

役所が紹介してくれる所で

物凄い安い時給で働いているらしい。

田舎なのに車も持ってないし、一人暮らしだ。

 いまだに母に小遣いを貰いに来てるだろう。

 

僕も車も持ってないし

東京に行けば一人暮らしだ。 

母に小遣いも貰っている。

相変わらず、ダメで、孤独だ。