ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

寄生獣 指原莉乃 リンカーン 僕の性格

みんな~こにゃにゃちわ~!

最近は特に何もしていない鈴木翔人だぞ~!

 

僕の夢は日産スタジアムでコンサートをすることなので

家に籠って曲を作ったり

オーディションを受けたり

ライブハウスに駆け込んだり

365日君を愛してるとか言ってみたり

生んでくれた両親にマジ感謝とか言ってみたり

トイレには神様がいるんやでとか言ってみたり、ラジバンダリ

した方がいいのだろうと思うが

 

 

はっきり言ってブログを書くことのほうが

僕の中で優先順位が高くなっている。

アクセスが増えて、読者も増えているので

ブログを書くことが楽しくなってきている。

ブログの為に生きているといっても過言ではない(笑)

文章にすることが一番自分の気持ちを話せるのだ。

 

 

ありのままの~姿三四郎~♪

 

 

 と市川染五郎父親の娘も言っていた。

 

 

”人前に出て何かをする”ってのは

一種のヤンキー性が必要なので

所謂、芸能人になりたかったら

ブログを書いているようなオタク的自分を

どこかで突き放さないといけないのだが

なかなかそれができない。

まぁとりあえずブログを書こう。

 

 

僕が何故こんな

 

「分析大好き理屈野郎言い訳担当大臣」

 

になったかというと

 

子供の時からそうだったのだ。

 

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これは小学生の時に紙面上(ただのノート)

で展開された俗に言う「一人ドラクエ」だ。(「ドラクエは一人でやるもんだ」と淡路恵子さんも言っていた)

モンスターの絵を書いて

サイコロを振って戦って

また消すのだ。

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一人ポケモンもあるよ!(「ポケモンは一人でやるもんだ」とリンカーンも言っていた)

 

 

それで登校拒否やニートをしている時に

毎日こじろうの散歩を一時間以上していて

一人でアレコレ考えてばかりいたので

「分析大好き理屈野郎言い訳担当大臣」

度が増した。

 

「こじろう」というのはウチで飼っていた柴犬だ。

名前は僕の好きだった漫画「世紀末リーダー伝たけし」の飼い犬から取った。

 

こじろうは去年の夏に首輪を抜けて

どっかに行ったまま、未だに帰ってきていない。

フジテレビの「逃走中」だったら

どえらい賞金になっている。

自首されても払えないので

ほねっこ三本で勘弁してほしい。

 

猫は死期が近くなると

どこかに姿をくらますと聞いたことがある。

こじろうも15歳で老犬だったので

死期を悟ってどこかに消えたのだろう

と思って勝手に納得していたが(一応保健所とかにあたって探しはしたが見つからなかった。)

 

母の知り合いの、こじろうをくれた人に聞いたところ

どうやらこじろうの父親も逃走して姿をくらましたまま

帰ってきていないらしい。

 

 

血筋だったのだ。(ドガーン)

 

 

僕の話に戻ろう。(ブログで戻ろう戻ろうとばかり言っている。接合点をスムーズに書くのは難しい)

昔「BSマンガ夜話」という番組があって

この番組は毎回一つのマンガ作品をとりあげて

あーだこーだ色々分析する番組なのだが

確か「寄生獣」の回だったと思う、

出演者のいしかわじゅん先生が

 

「漫画家には二種類いる。

”物語に没入して感情移入するタイプ”と

”定点的にカメラを置いて観察するタイプ”だ。

寄生獣の作者は完全に後者だ。」

 

とうようなことを言っていた。

僕も完全に後者だ。

一番好きな映画監督の是枝監督の映画も後者だ。

そして「寄生獣」は大好きな作品で

作者の岩明均さんは漫画家の中で一番好きだ。

東京に行ってマンガを殆ど読まなくなってしまったが

岩明先生の「ヒストリエ」と三浦健太郎先生の「ベルセルク」だけは

買って読んでいた。

 どっちも単行本発売ペースが鬼のように遅いので(「鬼のように遅い」と書くと早そうな感じがする、原付くらいのスピードは出しそうだが、どうなのだろう)やきもきした。

 

捨ててしまったがミギーのぬいぐるみ持っていた。

僕に子供ができたら名前は「ミギー」にしようと思うくらい好きだ。

女の子だったら「春奈」にする。

普通の名前にしないといじめられるからね!

 

 

ところで

皆さんは何か考え事をしながら歩いていて

「いつの間にここに来たんだっけ」というような感覚

に陥ることは結構ないだろうか?

僕にはよくある。

 

それを越えて自分がカメラになったような

感覚になることもよくある。

「見ている物」とか「聞こえる音」とか「歩いている人」が

映画に見えるというか物語に見えるというか

説明しにくいが

自分の目線がカメラなのだ。

感情がなくなるというか。

 

ドキュメンタリーのオープニングで

スクランブル交差点を歩く人の

足だけ動く映像みたいなの

あるじゃん。

あんな感じ。

 

物語に見えるというのも

ちょっと違うとこもあって

人がただの物質に見えるというか。

そこに自分が居るのに居ないような感覚だ。

 

簡単に言えば僕は

 

 

超主観が弱い

のだが

客観的に見たと思ったものも結局主観なので

逆に言うと

主観が弱いということは

主観が強いということかもしれない。

 

・・

・・・

 

自分でも何を言っているのか訳が分からないが

これがいい例で、考えていても答えは出ない。

考えることは素晴らしいが

結局は

 

 

やるか、やらないかだ!

 

 

何事も。

 

 

 

そんな考え過ぎる自分は

吉川晃司じゃない方のコンプレックス(布袋寅泰でもない)

でもあるが

 

 

コンプレックスこそ個性なのだ!

 

 

たぶん!

 

 

AKBの指原莉乃がこんなに売れる前に

自分の事を「ブスだし、なんの取り柄もないし

自分はキラキラしたものを陰から見る存在だ」

という風に言っていて

 

そんな彼女が総選挙で

1位になってセンターになった。

指原がセンターの「恋するフォーチュンクッキー」は

AKBの中で一番世間に浸透している曲だろう。

 

つまりは彼女の超個人的な悩み”こそが

実は大多数の人の普遍的な悩みであったということだ。

そういうことはよくある。

太宰治とかもそうだ。

 

 

僕が岩明均作品のどこが好きかというと

キャラクターの感情のわかりにくさだ。

岩明さんは決して絵が上手いと言える部類ではないので

絵で受け取れる情報量が

他のマンガと比べると圧倒的に少ないが

その分「言葉」だとか「コマ割り」だとか

ちょっとした表情の「ニュアンス」

にもの凄くこだわって描いていると思う。

 

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これも「欠点」が「個性」になった例ではないだろうか。

岩明さんは「言葉」にこだわっているといっても

感情を「言葉」で説明しないのがまたいいのだ。

それでキャラの表情がぎこちない。

 

僕もツイッターやブログに写真を載せたりすると

「いい笑顔だね!」

「かっこいいね!」

「ツイてるねノッてるね!」

とかミポリンからよく言われるが(ミポリンが言ってるのは三番目だけだよ!)

 

自分の中ではどうもしっくりこないのだ。

感情と表情の流れがスムーズじゃない。

 

もっとスムーズになりたいので

これからは毎朝スムージーを飲もうと思う。

基本は小松菜とバナナとキウイで

たまにはブルーベリーも入れちゃおうかしら!

牛乳じゃなくて水を入れるのよ

それが本当のグリーンスムージー

デトックス効果でお肌もツヤツヤ

うんこもブリブリ

なーんてね。テヘペロ!

 

これはトリビアでやってたんだけど

うんこの時にいきむと痔になるわよ。

ビビる大木が満へ~を押しての。

MEGUMIは16へ~だったわ。

MEGUMIよ、MEGUMI

降谷建志のお父さんの息子と結婚したあのMEGUMI

エアホッケーが強い人じゃないわよ

それはホンジャマカにフレンドパークで勝ったV6の長野くん

思い立ったらすぐに信州に行って

そばを食べちゃうグルメな人よ。

長野だけに信州にね。ぷぷぷ~。

もう、ゼロ年代のテレビのこと何もわかってないわね!