MCバトルから見える「作品」よりも「人」の時代。

僕も曲を作ったりしているので

また言い訳っぽっくなってしまうが(もうブログタイトルを「無職の言い訳ブログ」にしようか)

 

今の時代とにかく「作品」よりも「人」である。

 

人人人

 

と書いたらバナナの皮っぽく見えてきた。

いろんな意味ですべらないように気を付けよう。

人人人(黄色で書いて更にバナナっぽくしてみた)

 

 

ラップのMCバトルというのが

最近、特に若い人達の間で流行っている。

僕も好きだ。

 

これは「高校生ラップ選手権」や

「フリースタイルダンジョン」の功績であると思うが

何が面白いかと分析してみると

その「人」にしか出せないものが

MCバトルにはあるから面白いのだ。

 

ラップというものは「誰にでもできる」と言われているが

「誰にでもできる」ということは

逆に言うと「その人にしかできない」とも言える。

 

そもそもが、やる人の個性に特化したラップというものを

即興でやるのがMCバトルなので

 

もう、やってる人のアレしか出てこないのだ。

そう、アレしか出てこない。

恥部みたいな。

嘘がつけない

わけではないが

限りなく、その「人」を映し出す。

それがウケているのだと思う。

 

だからMCバトルというのは「LIVE」

というものに特化している。

その時その場でしか味わえないモノを

皆で共有するだ。

そういう意味ではスポーツに似ているような気がする。

 

しかし、ラッパーの世界では音源(CD、ダウンロード)

が売れている奴の方が偉いみたいな考えがあるっぽい。

 

確かに、そいつに金を出してくれているという意味では

音源が売れている奴のほうが偉いのだろうが

見ている方の気持ちとしては

「音源の方にあまり興味は無い」

というのが本音だ。

「バトルは好きだが別に音源は聞かない」そういう人が多い。

 

この現象も何故か?と考えると

バトルに比べて音源は圧倒的に「刺激」が足りないというのがひとつ。

MCバトルがサッカーの代表戦なら

音源はリフティングを動画で見ているようなものだ。

 

「LIVE」としての”極”がMCバトルなら

音源では「新しさ」”極”くらいのものでないと

もう殆どの人は満足できないのだ。

 

リフティングをまつ毛で10時間するとか

そういうことだ。

 

前にも書いたが、

別に「名曲」を聴きたいのなら

Youtubeビートルズを聴けばいいのである。

小説にしても漱石や太宰を読めばいいのだ。

「名作」と呼ばれているものを後追いすればいい。

 

ビートルズの時代、いやそれ以前から

人が聴いて「いい曲だ」と思える範囲が変わっていない。

ギターのコードでいうとCで始まった曲は大概Cで終わる。

それが人間が一番聴いていて、違和感がなく気持ちいいからだ。

 

東京五輪のエンブレム問題で佐野研二郎氏が

パクリだとか言われて叩かれまくっていたが

そんなもん世界中を探せば似ているものなんて

あるに決まっている。

 

あれがパクリかどうかということはどうでもよくて

何かを売る側はツッコまれる前提で商売をしなければいけない。

パクリだ!と皆に言うかどうかは別問題だが(言う方も自分の首を絞めていると思うが)

そうやって過去も未来も地球の裏側も相対化するのが今の時代である。

意識的にせよ無意識的にせよ。

 

日本人でいうと

吉田拓郎とかユーミンとかサザンとかミスチルとかが

アメリカ、イギリスで生まれた

普遍的な人の悩みや、音楽の気持ち良さを伝えるポップスというものを

日本流にアレンジするということをやってしまった。

全部作品にしてしまったのだ。

 ミスチルはJPOPに最後にカウンターを入れた人たちかもしれない

その後は「メイン」がなくなってきたので「カウンター」もない。

 

 

よく80年代に青春期を過ごしたおじさん達が

「今の歌は響かない」と言ったりするが

これは懐古趣味ではなく、当然のことだろう。

 

日本では70年代に米英の音楽に影響を受けた

「ニューミュージック」と呼ばれる人たちが出てきて

その後80年代に好景気もあって

色んな物をごった煮して実験的な事をすることが

許された時代があった。

 

そういうものを当たり前に享受してきた人たちに

今の音楽は圧倒的に「刺激」が足りないだろう。

今の音楽が響かないというか

聴く必要がない。

変わってないんだから。

 

僕もJPOPを中心に、普通の人に比べれば

音楽を割と聴く方だと思うが

吉田拓郎を聴けばいいや」と結構な頻度で思う

 普遍的なのだ。

 

 

新しいものといえば

ラップ、ヒップホップか

機械の発達に伴って進化したパソコンを使った音楽くらいである。

( 新しいものが気持ちいいと感じるかはまた別問題だ)

 

しかし、ラップというものの長所は弱点でもある。

音源に興味が沸かない理由のふたつ目でもあるが

 

ラップというのは真似できないのだ

 

例えばケツメイシの「さくら」は

「さくら舞い散る中に忘れた記憶と~」

のところは結構な数の人が歌えるだろうが

その後のラップ部分を歌える人は少ないだろう。

 

ラップというのはその人の身体性、個性に特化したものだから

誰にでも真似できないのである。

だからメジャーな人たちはヒットさせるためにサビを作るのだ。

しかも日本人は「踊れない民族」なので

歌えるかどうかというのは重要だ。

 

 

色々と書いたが別に悲観的になっているわけではない。

今生きていることだけビートルズに勝っている。

あとコンビニのコーヒーについてはジョンよりポールより詳しいだろう。

 

「人」が重要な時代とうのはそういうことだ。(どういうことだ!)

 

 

ポールがコンビニコーヒーめっちゃ飲んでたらどうしようもない。

 

 

広告を非表示にする