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キリがない「自己ツッコミ」

言い訳というか

エクスキューズというか

自己ツッコミの話。

 

自己ツッコミというのはキリがない。

 

言い訳して”いいわけ”がない。

(何を言っている)

(これを言いたかったのだ)

 

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(この本のことは知らない)

 

 例えばこんな感じで(例えになってない)

この例えを、例えになっていないと

書くのも「自己ツッコミ」である。

 

だからキリがない。

 

前にサブカル関係の人が鬱になる理由の記事にも書いた。

「躁」と「鬱」 さんまと中居 僕は人に嫌われたくない。 - 無職が元カノに5万円返す為のブログ!

 

「自己ツッコミ」というのはオタク的要素だと思うが

どこかでヤンキー的成分で人前に出て行くことも必要だ。

そうしないと鬱になると思う。

何故なら「自己ツッコミ」にキリがないからだ。

 

鬱になると自暴自棄になり暴力性が出てくることがある。

それが自分に向かえば自殺するし

自分を殺すために人を殺す。

 

「鬱」と書いているが

医学的に定義されている「うつ病」のことではない

そのことは知らない。

 

 

だから悩むことは素敵だと思っているが

どこかで他人に「自分」を投げ出さなければいけない。

「他人から見た自分」が「自分」という所で落ち着ければいいのだ。

そのためには人前に自分を晒して

 

他人に誤解されることを恐れない

 

ことだ。

 

 

人と人は解り合えるわけがない。

解り合えたと思ってもそれは

自分が解り合えたと思っているだけだ。

 

僕はそれでも解り合えるのではないか

とも思っているが。

 

いずれにせよ”誤解の連続”であることは間違いないので

言いわけせず

エクスキューズせず

自己ツッコミせず

誤解されることを恐れず受け入れる

ことをどこかの段階で僕はしたいと思っている。

 

 

よく「締め切りがないと書けない」と

作家なんかが言うが

同じようなことだと思う。

 

締め切りがないと人は完璧を目指してしまう。

ただ何が完璧か?などわからないし

完璧など無いのだ。

だからどこかでケリを付けて他人に晒す必要がある。

 

僕のブログに締め切りはないので

一度書いた記事は直さないようにしている。

それくらいしかできないが

そうしている。

 

 

前の記事でも少し書いたがエンターテイメントの世界でも

言い訳やエクスキューズが多いものは大きく流行らない。

言い訳するサブカルはサブカルのままだ。

ツッコミ所は多くても

やり切ってるものの方が浸透する。

 

最近はネットでリアルタイムでツッコめるのため

テレビでやるお笑いのネタに関して言うと

パーフェクトヒューマンとかおかずクラブとか

ラッスンゴレライだとかダンソンだとか

「ツッコミ」というものがいらなくなっている。

寧ろツッコまない方が広がったりする。

ふなっしーとかねばーる君とか

ゆるキャラもそうだろう。

 

というかお笑いなんてそもそも

そんなもんだったんだろう。

いつからかメタな視点で

ツッコむことが当たり前になったが。

 

テレビも音楽も映画も本もそんなもんだったのだ。

いつからか全ての地位が上がっていった。

娯楽というのは誤解されて当たり前というか

みんな「にわか」だったというか。

 

メタ視点も、裏側から見ることも

「サブカル」も面白いが

言い訳せずに「誤解」を恐れずに

やり切っている人が好きだ。

 

僕が好きなモノは大体そうだ。

ミスチル爆笑問題が好きなのもそういうことだ。

かといって「夢は叶うぜー!」とか言われるのも

真っ直ぐ過ぎるヤンキーっぽいものも好きではない。

 

「夢なんか叶うわけないよ」とか言いながら

夢を見てる人が好きだ。

 

ただの天邪鬼だ。

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