批評と創作は同じか。

批評と創作は同じか

たまたまある人のブログを読んだ。

 

eroge-pc.hatenablog.jp

 

言葉が難しいが

要は「批評と創作は同じじゃねーか」という内容だ。

僕も同意見だ。

 

何かを自分の中にインプットして

編集して外に出す作業というのは

歌だろうが映画だろうがお笑いだろうが

批評だろうが科学だろうが

実は変わらない。

人間が勝手に分けて名前を付けているだけだ。

 

恋する気持ちを

歌にする人もいるし

絵にする人もいるし

科学的に分析する人もいる。

 ただの個性の違いだ。

 

だから本当は何をやったっていいのだが

人は肩書きを重視する。

職業なんて何かをやって報酬を出す人がいればそれでいいのだが

誰もが肩書きを先に置いて

そこに自分を当てはめようとする。

 

夢は職業じゃなければいけないと

思わされている。

僕も小学校の文集に「プロ野球選手」と書いてあるが

当時からちっともなりたくはなかった。

書かされるから無難なものを書いただけだ。

 

ただ肩書きというのは信用なので

それで人から判断されるのは仕方ない。

けど自分で自分に当てはめる必要はない。

 

 

 世の中全部パクリ

 

 

とどのつまりこの世の中全部パクリだ。

人間は影響しあって生きている。

 

例えば僕は最近Youtbeにあるビートに乗せて

ラップを作ろうとしたがなかなか歌詞もメロディーも出てこなくて辛い。

ギターでジャカジャカやってれば

歌詞とメロディーは出てくる。

これはラップを作るのが難しいというより

僕が普通のJPOPを沢山聴いていて

あまりラップを聴いてないから出てこないだけのだ。

 インプットしているものしか出てこないということは逆に言えば

興味があるだけで「才能」と言っていいと思う。

 

オリジナルソングといっても

自分の中にあるものを取捨選択

つまり編集しているだけだ。

自由に絵を描いてくださいと

言われる方が難しいのはそういう理由だ。

テーマがあれば引き出しを探るだけなので創作はし易い。

 

音楽の場合カバーの方が響くことがある。

カバーだとその人のバックボーンとか歴史や

歌が生まれるまでの経緯が薄まり

曲単体の良さが滲み出て胸にスッと入ってくる。

 

この記事のテーマについて

同じようなことをニーチェも書いていた。

新しいことというのは

突飛なことをやることではなく

見方を提示することだと。

 

立場の違い

 

 

批評と創作は同一といっても

違うこともある。

それは立場だ。

僕はお笑いや音楽の舞台に立ったこともあるが

やはり演者と客の立場は圧倒的に違う。

演者は孤独だ。

やってみりゃわかるが誰も自分のことに興味がない

状況で何かを披露するのは非常に勇気がいる。

ストリートライブとか。

 「文句言うならお前できんのかよ」というセリフは

死んでも言わないが

ある種の真実でもある。

 

いくらつまんないと言われようが

舞台に立っているそれだけで尊敬に値する。

寧ろ舞台に立つことがすべてとも言える。

「舞台」とは比喩的な意味だ。

だから僕が前から言ってるようにゴチャゴチャ言って働かないやつより

ゴチャゴチャ言いながらも働いている人の方が偉い。

働いていないからどうということでもないが

「働いたら負け」と言って敵を作る必要はない。

 

前にも書いたが神聖かまってちゃんみたいな人が

テレビで暴言を吐くことや予定調和をやらないことをやたら喜ぶ人がいる

僕は面白くもなんともないし

かっこいいとも思わない。

 

まぁ別に本人がやりたきゃやりゃいんだが

主流でありながら立場を作ってカウンターをしないと

影響力のある人にはなれない。

そこらへんが壊し屋といっても

忌野清志郎との違いを明確に感じる。

だから「表現の自由」とか言って

何でも言える環境を作ろうとしている人の気持ちが全然わからん。

 

特に最近は誰でも意見が言えるので

うまくやる人、失敗しないことが評価されるが

そうじゃないだろと言いたい。

僕はいくらフラれても告白できる人になりたい。

そういう人になりたいけどなれないから苦しんでいる。

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