ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

元米兵の殺人事件と震災。ビートたけしと太田光

僕は前から米軍に日本から出ていって欲しいと思っている。

日本の平和を守るためにアメリカ人の若者が死ぬのは嫌だからだ。

安保法案が通ろうが通らまいが日本を守るためにアメリカ人の

兵隊が死ぬのなら出ていって欲しい。

かと言って兵役なんか死んでも行きたくない。

 

ホームレスになる前に相模原市に住んでいた。

隣の厚木市に米軍基地があるので戦闘機が上空を通る。

あれこそ正に轟音だ。

”これが戦争の音か”と思ったら

僕は更に米軍が嫌いになった。

ただ、相模原市に住んでいる分には騒音に対して一か月くらいで慣れた。

厚木周辺にももっとうるさい所もあるだろう。

 

戦争をしないために軍隊があるのだと言う人がいるが

アメリカは戦争をしている。

原油の利権を奪うための”アメリカの暴走”だとしても

アメリカと日本は経済的に強くつながっている

僕らの生活を維持するために誰かが死んでいるかもしれない。

 

米軍の海兵隊は最前線で戦地に向かうため学歴が関係なく

仕事がなくて、ご飯が食べられない貧乏な人たちが

入隊すると聞いたことがある。

そういう人達が自暴自棄になって沖縄で暴行や殺人を犯しているのなら

被害者を殺しているのは僕らだ。

 

今回の殺人事件の犯人は家族も居たそうだし

何が彼を殺人まで向かわせたのかもわからない

”元軍人”らしいし、ただの変態だったのかも知れない。

 

しかし、米軍の事件が起きると基地撤去の運動が盛り上がり

それ対して「米軍の犯罪が特別多い訳ではない」という理屈が出てくるが

その意見に対しても違和感は拭えないのだ。

 

ビートたけし東日本大震災についてこんなことを言っていた。

見知らぬ人のブログにコピペしてあったので

一部を抜粋する。

 

「人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。」

 

http://tariq1227.tumblr.com/post/4034843737/ビートたけし1人が死んだ事件が2万件あったってことなんだよ

tariq1227.tumblr.com

 

これは本当に人の痛みをわかっている人にしか出てこない言葉だと思う。

「感情」は必ずしも世間と相対化する必要がないのだ。

勿論、確立論を持ち出す人達が

「米軍があるから犯罪が起こるんだ」

と言う人達の反語として言っているのはわかる。

だから「米軍出てけ」の理屈も通らない。ただ、感情は分かる。

 

たけしさんはこうも言っている。

 

逆にいえば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死ん だって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心 からその重さがわかるんだよ。

 

「悲しみ」は個人的なものと言っておきながら

海の向こうの人の「死」も悲しめと言っている。

それはつまり、海の向こうの人の「死」も個人的なものだと思えるかどうかということだ。

 

そうは言いながらも僕の解釈では

「”悲しみ”は個人的なもの」と言うたけしさんは

悲しまない人がいることも認めていると思う。

 

僕が気になるのはツイッター等で震災や災害が起きた時に

「やるべきことをやる」「今できることをやる」と言う人達だ。

たけしさんも上記の記事で「やるべきことを淡々とこなすしかない」と書いているが

これは芸能人として、影響力のある人間としての一種の励ましだろう。

 

確かにネット上、ツイッターは皆がお隣さんだし

そう言いたくなる気持ちもわからなくもないが

そんなに傷付かなくても大丈夫だよ。

たぶん僕が冷たいんだろうが

別に飯食って、うんこして寝るだけだ。

被災地にボランティアも行ってない。

募金もしていない。

 

「やるべきことをやる」「今できることをやる」のなんて

言わなくてもある種当たり前なわけで(僕も二日前のブログに「今できることをやるのは大事だ」と書いたが震災に対してではない)

そんなに予防線の様に言う必要ないんじゃないかなと思うんだ。

傷ついているからこそ言ってしまうのはわかる。

ただ傷つきすぎると、何もできない自分に腹が立ち

何かにつけて「不謹慎だ」という逆に振れる人もいる。

 

でも、「震災とは関係ない所で生きている自分を許そうよ」って

僕なんか思っちゃうんだけど、これは無責任なのかな。

そうすれば震災とは関係のない所で生きている人も許せるから。

目の前の人に優しくできればそれでいい気がするんだ。

自分が生きていることを肯定するのに

世間的に”いいこと”をする必要ないし

世間が求める自分である必要もないと思う。

 

たけしチルドレンの爆笑問題太田光も、以前テレビで石原慎太郎と共演したときに

いじめ問題に対してビートたけしと似たようなことを言っていた。

水道橋博士の手記から一部を抜粋する。

 

石原 ボクは日本人の甘ったれというのは裏返すとね、堪え性がなくなったわけね。 そういう人間って弱いですよ。ノーベル賞を取った動物学の学者が『人間で幼いときに苦痛、(親の虐待とかではなく)我慢を強いられる事のなかった子供は大 人になって非常に不幸な人間になる』と言いますが、私はそのとおりだと思いますよ。今は、暑いといったらすぐ冷房、寒いといったらすぐ暖房、おなかがすい たらすぐ間食するしね。昔は貧困のなかで我慢するという体制が人間を強くした。甘えが跋扈して人間が弱くなった。いじめなんかは簡単に死ぬでしょ? 昔か らあるけど子供はそんなに簡単に死ななかった!

太田 時代が違うじゃないですか?

石原 だから、時代が変わったからそういう人間が出てきたわけですよ!

太田 たとえば極端な話で言うと、戦場の中でビンタされても大したことは無いかもしんないけど、教室の中で一斉に全員に無視されたら、戦場の中でビンタされるよりも傷付く人間だっているわけじゃないですか? それは弱いってわけじゃないでしょう。

石原 こらえ性がないしね、それは実際にビンタの方が痛いし、よっぽどツライよ!

太田 それをこらえ性がないと言われると……状況状況で分からないわけだから、人間ってやっぱり弱いですよ!

 

hon.bunshun.jp

僕も、なんでもかんでも相対化するのが癖になっている。

それも一つの視点ではあるが

”感情”を置き去りにしては人に優しくできない。

目の前の人に優しくすることが世界平和に繋がると

本気で信じるべきなのだ。

 

冒頭にも書いたように僕は米軍に日本から出ていって欲しいと思っている。

ただ、アメリカが世界の警察をしていた方が世界が平和な可能性もある。

米軍が出ていったとしても防衛の為に何かを考えなきゃいけない。

アメリカのお陰で、一部の人達の犠牲によって、多くの人達が平和に暮らせる世界が

あるのかも知れない。

例えば北朝鮮に国民が拉致されたと分かっても日本は何もできなかった。

アメリカは国民が拉致されたのなら、爆弾を落として力ずくで取り返しに行くだろう。

 

でも、それでも日本は「戦争しない」って言ってる。

核持たないって言ってる。

拉致被害者の家族からしたら物凄く残酷な選択かもしれない。

 

 それでも、もう「平和」の為に誰かが死ぬのを見たくはない。

戦争に加担したくはない。

そんな日本に誇りは持てない。

日本人は銃を持たないし

日本は戦争しないって言ってんだから

戦争しないんだよ。