ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

不幸でもないし恵まれてもいない。

生きてるって何だろう?生きてるって何?

生きるって何だろう?

死ぬって何だろう?

最近考えている。

「死」は「生」の側からしか語れない。

タコでもない限り。

だって僕らは生きているんだから。

 

だから誰かが死んでも

見送るしかない。

見送りたくないのに。

 

生きている以上

老いるしかない。

老いたくないのに。

 

愛する人が死んでも

SMAPが解散しても

こち亀が終わっても

生きていくしかない。

 

なんじゃこの人生。

なにも掴めないし

保存しておくことなんてできない。

 

そんなことを考えていると

生きるってのは本当に一瞬の輝きでしかないなと思う。

誰も何も残せない。

 

 

「子供」は残せるのかどうなのかと考える。

ひい爺さんとひい婆さんが子供を作らなければ

僕は生まれていないが

普段ひい爺さんとひい婆さんのことなんて

考えない。

 

父か母がいなかったらとは考えなくもない

ギリじいさんばあさんだ。

そんなこと言い出したらひいひいひいひい爺さんがいなかったら

今の僕はいなかったことになる。

 

だからそんな風に辿っていくのは割と無意味だ。

僕の意識があるから僕がいるのか

生まれたから意識があるのか。

 

つまり生きているのに理由なんてないわけで

生まれたから生きているだけ。

自分でも何が言いたいのかよくわからないが

要は

誰も何も残せないということ。

 

だからこそ今生きてる命に価値がある。

生とは一瞬のキラメキである。

 

 

日常を楽しくするしかない

 

楽しいことばかりじゃないけど

日常を楽しく生きるしかないんだよな。

だって毎日ディズニーランドに行くわけにはいかないだろう。

つーか毎日ディズニーランドに行っていたらそれが日常になるわけで

結局日常に楽しみを見出すしかないような気がする。

 

夫婦とか恋人だって初めは燃え上がってるけど

冷めてくるのと一緒でさ。

つーか結婚20年経ってもラブラブ夫婦ですとかいう人

たまにいるけど気持ち悪い!

 

いや、逆に考えれば

ディズニーランドに毎日行く日常にすれば

楽しくなるとも言えるな。

まぁ夫婦は無理だろう。

ミッキーみたいに従順じゃないし。

 

 

僕が是枝さんの映画が好きなのも

日常を切り取っているからに他ならない。

あとね是枝さんは

世間的な価値観に当てはめれば不幸な人を

不幸に描かないのがいい。

 

この前も書いたけど僕は

お前らは不幸だ!みたいに言うエンタメが嫌いなんだよ。

かといって

お前は恵まれてるぞ!と言われるのも嫌いだ。

 

自分で思うのはいいが

何故お前に言われなけらばならないのか。

お前に俺の何がわかる。

俺が病気だと言えば優しくすんのかお前は。

実はうんこを我慢しているのに

笑顔を作っている可能性だってあるだろ。

 

 

是枝さんは例えば「誰も知らない」の親に捨てられた貧乏な子供も

楽しみがあったり笑顔になったりするし

誰にでもある悲しみの一つとして描くんだよね。

そういう人がいたと描く。

 

不幸ってのは他人と比べるから

不幸なんて概念が生まれるわけでさ。

 

例えば「そして父になる」では

金持ちの家と貧乏な家があるんだけど

一見、金持ちの家庭は冷たくて

貧乏な方が子供たちと遊ぶ時間があって

温かい家庭で良く見えるんだけど

貧乏な方の父親もちゃんと性格が悪いというか

金持ちを羨んでるんだよね。

 

人と比べちゃうのも人間だよね~ってところまで

認めてるわけだ。すごい。

 

書いていたらこの歌を思い出した。

「革命は起きない ありきたりの日々を祈るように生きよう」

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