ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

「金メダル男」感想。映画とテレビの「笑い」の違いについて。

昨日の2本目「金メダル男」

☆0.5

 

・良かったところ

小学生の体操着が見れる

中学生のスク水が見れる

土屋太鳳ちゃんのジャージでピチったお尻が見れる

僕の大好きな山崎紘菜ちゃんの谷間が見れる(0.5はこの部分)

木村多江ちゃんの眼鏡姿を見れる。

 

以上。

 

 

やべぇ。

わかっちゃいたけど

これはつまらねぇ。

 

ムービーウォッチメンの課題になってたのと

お笑い好きとして

とりあえずウッチャンの作品を見届けようと思って

観たのだが

これは結構ひどい

ていうかひどい。

 

シンゴジラの後半がつまらないと言ってた僕は

少数派ぶってたのかもしれん。

この映画と比べれば断然面白い。

 

映画冒頭、出川哲郎の今まで骨折しまくったみたいな名言

を文字で出す。

その発言自体はクスッと来るが

宇多丸さんもよく言うけど

映画でそういうことをやっちゃダメなんだって!

 

「テレビ」と「映画」

「コント」と「芝居」

「お笑い」と「コメディ」

は違うんだって!

 

で、

この映画を見て何が違うのかというのが

感覚としてわかったんで

それだけでも観る価値はあったかなと。

 

それは

「空間」の違いなんですよ

「空間」があるかないか。

映画とか芝居ってのは「空間」を

作らなければいけない。

 

例えばこの映画で

鳥のフンが顔に落ちてくるっていうギャグがあるんだけど

鳥のフンが顔に落ちてくるそれ自体が面白わけではなくて

それが落ちてきて面白いような「空間」

「状況」といってもいいけどそれを作るのが

映画なわけ。

だからさ真面目にお話を語るっていうのがやっぱり基本なんだよ

。映画では。

 

大喜利じゃないわけ。

 

 

前に「東京ポッド許可局」で

「喜劇人」と「芸人」の違い

みたいなことも語られてたけど

昔のテレビのお笑いには空間もあったかもしれない。

 

たぶん漫才ブームが起きた時くらいから

「お笑い芸人」っていう前提を

視聴者と共有している状態ができたので

いちいち空間を作る必要がなくったんだと思う。

 

そんで

その状況を利用してアイデアや発想で出てきた

90年代のテレビを代表するような

松本さんとか

内村さんとか

ことごとく映画と相性が悪いなと。

 

「ボケ」みたいなことを映画でやっちゃダメなのよ。

 

なんでダメかというのを

これから説明します。

 

一言でいうと二時間も持たないから!残念!

 

普通に「ボケ」みたいなものを

二時間も見るのがきついってのがあるんですが

「ボケ」にお話の必然性がないから

持たないし

笑えない。

 

めんどくさいので

ひどいところを羅列する。

 

・テーマの必然性がなさすぎる。

ウッチャンが1964年生まれらしいが

物語上と客には必然性がない。

リオ五輪で盛り上がることを予想して適当に

「金メダル男」とつけたようにしか見えない。

 

・「一番になりたい」と言う主人公の意図が分からない。

劇中でも聞かれていたが「なんの?」という問いは観客の疑問そのもの。

とにかく何になりたいかは置いといて

上京するとかいうような人もいるけど

そうすると「一番になりたい」という考えはおかしいだろ。

「夢を見つけたい」とか「金を稼ぎたい」とかならわかる。

子供のころかけっこで一等賞を獲ったら

褒められたという一応の理由はあるが

なに、この主人公ちょっと頭おかしい人なの?そういう風にしか見えない。

(上の必然性と一緒なんだけどお話から考えているのではなく

「ボケ」とかから考えているからこういうことになる)

 

・音楽の使い方ダサすぎ

懐メロとか使うならちゃんとやろうよ!適当すぎ。(しかもインスト)

しかも主人公がテストの順位観て

クリスタルキングの大都会の「あーあー」の部分と合わせるギャグとか

正気かよ!

今時やるかこんなこと。

 

 

・時代性を全く感じない

 

上の点にも通じる。

91年から始まる

90年代のまとめシーンみたいなとこで(このシーンもひどい)

その時点でミスチルのトゥモネバが流れ始める。

でもトゥモネバが発売されたのは94年だからさー。

90年代のヒット曲として流したのはわかるけど

そういうとこで時代性をちゃんとしないなら

64年から物語を語る意味がないよね。

 特に

80年代って言ってるのに

髪とかファッションとか現代のままで

ひどすぎる。

 

・ギャグがギャグになってない

無人島で子供のころの経験が役立つというギャグ

魚取りの経験が魚取りに活き

火おこしの経験が火おこしに活き

ってギャグになってないじゃん。

普通のことじゃねーか!

変なオブジェが水を調達する道具になっているっていうのが

オチに出てくるけど

何故それで水が採取できるのかという

理屈が分からないから

なんでもいいじゃねーか別に。

ネタではそれでいいかもしんないけど

映画で二時間もかけられてそれはねーわ。

 しかもオブジェ自体がわけわからんものだし。

 

・カメラ近すぎ

・テンポ悪すぎ

・最初から全部言葉で説明する

 

 ・知念君の中学生はいそうでいなそうで中途半端

とにかく魅力がでてない。

平泉成にヅラをかぶせるつまらんボケをやるくらいのリアリティでやるなら

ウッチャンが小学生をやれよ

 

・知念君の友達の方がかっこよい。

 

・ボケに使いたい人だけを成長させて出すが

小学生時代の友達をそのまま主人公と一緒に成長させて出せよ。

それだけでギャグになるじゃん。

例えば小学生でパンを常に食ってるやつは高校生になっても常にパン食ってるとか。

そういう演出は皆無。

 

バンキシャとかヒルナンデスとか松井秀喜とか

実際の番組や人物を出すくせに(フォレストガンプ的なやつ)

架空の番組やアイドルも出すからわけわからん。

 

総評

突っ込みどころ大杉連。

そこらへんの恋愛映画の方が面白いと思う。

ギャグも。

 

というか若者向けに作るならいいが

50代のおっさんが

自伝的に作った映画としてちょっと気持ち悪い…。

恋愛の描き方とか。

こんなものを作るのかという気持ち悪さ。

 

ことほどさように

ウッチャンのムッツリスケベ感というか

それが

気持ち悪いんだよね…。

 

女性に対してだけでもなく

遠慮してるように見えて

実は自信満々で「俺はモテる」という

自負が垣間見えるというか

それこそウッチャンそのもの。

 

松本さんとか品川さんみたいに

大言壮語を吐いてくれた方が

まだいいっていうか。

 

だってこの映画を見て感じることって

「俺は何をやってもうまくいってきたぜ!」

それしかないんだもん。

いったい何を言いたかったんだろうウッチャン

 

ビートたけしを除く最近の芸人監督の中では

劇団ひとりが一番よかったな。

 

最後に

ウッチャンの大好きなチャップリンの面白さって

イデアとか発想もまぁ勿論あったんだろうけど

本質はチャンプリンの喜劇人としての

身体性なんだよ!というのを

この映画を見て言いたいなと思いました。

 

あと

山崎紘菜ちゃんはかわいい。付き合いたい。