ほとんど家にいる

フリーター時々ニートが世の中にある「死ねばいいのに」と思ったことを書きます。

90年代を突破せよ!

今日の鈴木翔人。

今日も特に何もしていない。

ツイッターをしてエロ動画を見て

レアポケモンいないかな?とスマホを見て

エロ動画を見て。

 

東京に行く準備をしなきゃとか

部屋を片付けなきゃとか

思うんだけど

どうにもこうにも。

進まない。

 

やっぱり何に関しても一気に出来ない。

徐々に準備するとか

徐々に片付けるとか

ジョジョを読みふけるとか

そういう風にしか出来ない性格だ。

 

昼に梨を食べた。

みなさんご存知

あの梨だ。

包丁で皮をむけないので

ピーラーを探したが無かったので

四等分にして芯を取り

スイカのように皮付きでかぶりついて食べた。

 

昔の人はこういう風に適当に食べていたのだろう。

そこで僕は気づいた。

梨とはただの木の実である。

 

そりゃそうだ。

こういう気付きが僕は好きだ。

人間はただの動物である。

 

88年生まれの鈴木翔人

 

またSMAPの話題になる。

この前

SMAPというおもちゃを手放して

僕らは大人にならないといけない

書いた。

キムタクの娘は16歳だし

とも。

安室ちゃんの息子は18歳らしい。

がびーん!

 

思うに僕らは90年代的な

価値観をそのまま引きずって来てしまったのではないか。

そのまま大人になってしまった気がする。

 

例えば

「CDが売れない」だとか

「テレビの視聴率が」とか言って。

別に芸能界に限らず

日本全体としても個人としても。

たまに思うが

2ちゃんねるのCD売り上げ板で議論している人って

絶対おっさんだよな。

2ちゃんねる自体平均年齢が高いらしいけど。

 

 

さよなら小沢健二

 

最近出た

さよなら小沢健二という本がある。(読んでない)

 

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読んでないけどなんとなくわかる。

小沢健二は90年代的な空気を作った一人だと思うけど

たぶん95年12月31日の紅白で

「ラブリー」を歌ったのをピークにそのあと徐々に失速していって

「ぼくらが旅に出る理由」っていうアンセムを96年に残して

本当に旅に出たというか

世間的にオザケン熱が盛り下がっていった。

 

僕は当時子供だったからリアルタイムではわからないけど

後追いして情報を集めるとたぶんそんな感じ。

 

そんで世間的に小沢健二にはさよならしてるんだけど(ビーイングも消えた)

SMAPミスチルやサザンはその後も売れ続けるんだよね。

福山や安室もそう。

お笑いで言うととんねるずダウンタウンも。

だからホントにさ

90年代の呪縛が解けてない感じ。

未だにSMAPと安室が五輪のテーマソングだし。

 

僕が言いたいのは

SMAPミスチルやサザンを

聴くなということじゃなくて

そこの価値観や評価軸にいると

突破できないだろうと。

 

それは普通の会社でも

どこの世界でも一緒だと思う。

僕らは新しい時代を作っていかなければならない。

 

 

自分の居場所を作るために戦う

 

 

例えば今日「ダウンタウンなう」で

フットボールアワーダウンタウン

「年収1億超えたのはいつですか?」と聞いていた。

逆にフットボールが年収を聞かれていて暴露していたが

ダウンタウンの二人はその少なさにほくそ笑んでいるように見えた。

 

単純に考えれば

テレビの視聴率は全盛期の半分なんだから

製作費も半分。

一度ギャラが上がった人たちのギャラは下げても限度があるから

他が上がらないだけなのだ。

「さんまのまんま」もこれ以上自分のギャラが下げられないから

終わると明石家さんま本人が言っていた。

 

勿論これはテレビのギャラだけで言えば、だ。

今は他にもツールが沢山あるので

テレビ全盛期より稼げる可能性は十分にある。

ヒカキンとかなんてそこらのタレントの何倍も稼いでいるだろう。

 

だから他の価値観や評価軸を僕らは模索して提示する必要がある。

そうでなければ一生低賃金で働くことになる。

これは芸能界だけで起きている問題ではない。

 

90年代までに売れた

とんねるず石橋や爆笑問題太田は

テレビ原理主義者だが

自分の食いぶちを守るのに必死だからだ。

 

これは嫌味ではなくてそういうもんなのだ。

自分の位置を守るためにみんな戦っている。

僕らも自分の価値観を持って戦わなきゃいけない。

 

まだ書きたいことはあるが

今日はこの辺で。